映画「こちらあみ子」への、「当事者親」としての感想
アマプラで「こちらあみ子」を見ました。
原作の小説はよんでおらず、映画の方を視聴。
夜に見ました。悲しくなり、夜寝れなくなりました。
舞台は平成のはじめから中ごろっぽい感じ。原作著者の年齢からしても、子どもの頃の時代はそれくらいだろう。
ただし、なぜか任天堂スイッチは出てくるけど。
この「近年の話ではない、何十年もまえの時代の話かもしれない」というのを、映画製作側ははっきり描写すべきだと、まず気になった。
なぜなら、現在の家庭も学校も、ここまで発達障害に無知ではないからだ。
(あ、作中では一言も発達障害だと言及はないが、まあ発達障害だよね、境界知能もあるかな、という感じ。)
現在の発達障害児は、早くに幼稚園時代には発見され、療育をうけて、社会とのうまい付き合い方、不器用な心身のうまいコントロールを教えてもらうし、親だって一生懸命関わり方を学ぶ。
少なくとも、小学校入学前には、発見されることが多い。幼児にかかわる関係者が、就学前相談に行くようやんわり親に促すからだ。あみ子ほど個性の濃い子なら、なおさらだ。
発達障害は薬などで治せるというものではなくとも、軽減して少しでも生きやすくするスベはある。
平成の前半と違い、今はネットや専門の本でも親は学べる。
それを。
この映画は、親はなにもしない。
一緒に遊んだりはするが、説明し教えることをせずあきらめている。
当時ネットもなく、あまり発達について知られてなかったとしても。
あみ子の困り具合を放置しすぎ。
「さっきあの人が困ったのはね、あみ子の言ったことでこう感じたんだね。つぎはこうしたらいいね」など、教えることもしない。発達障害児だって、一つ一つ、繰り返し教えれば、わかってくるものもある。親もいけないことは理由を説いてやることが大事だが、それもしない。わからないんだ、で終わっている。そのくせ、あみ子がわかってないからしたことに、母は慟哭して鬱になる。父はあみ子に死産とその悲しみについて、死んだ子の性別さえ教えない。
あみ子の兄だけは、あみ子にいろいろ説明して教えていたのかもしれないが、その役目を親が担わず、兄にまかせきり。そして兄はグレる。
近所の、やさしき「のりくん」だって、あみ子の親がここまであみ子を放置しなければ、あそこまで巻き込まれ苦しむことはなかったかもしれない。
現在は、そこまでまったく手つかずの放置の家庭はめずらしい。
映画は、現在の発達障害児の親も、子を漫然と放置していると誤解させる。
しかも、あみ子は蹴られ、上履きをかくされ、なぐられるが、反発しないし、まわりのオトナも子どもも、かばわない。
親でさえ、かばわない。あみ子なら仕方ない、と周りがみんな思っている。
そして。
あみ子の父は、あみ子をつれて、世に何も助けてといわず反論もせず、静かに引っ越していく。
あみ子に、反論させてやってくれ。
あみ子の親は、すこしはあみ子に教えるべきことを教え、かばってやってくれ。
そして視聴者よ、現代の当事者をとりまく環境は、この映画とはかなり違うことをしってくれ。
この原作の小説が世にでたのは2011年。
映画化されたのは、2022年。
しかし、発達障害者支援法ができたのは2005年だ。そこから療育、放課後デイサービス、相談支援事業所など、支援が増えた。保育園や幼稚園での、早期発見早期療育への意識も変わった。
小説の著者は、その変化に気づかず、自分の幼少期の見聞きした記憶などにより、書いたのかもしれないから、仕方がないかもしれない。
しかし、映画化は。映画化の前に、いくらでも現代の当事者をとりまく環境や課題について、検証することはできただろう。
調べれば、いかに固定化された古いスティグマが、当事者と家族を打ちのめすかがわかっただろう。
そのスティグマを、この映画は強化してしまった。
当事者を、高みから何の知識もなく見さげるようだったこの映画。
当事者への偏見を、ただただ助長するようだったこの映画。
本当に、悲しくなった。
素直な感想です。
ただ…
これだけのモヤモヤを生み出す映画の原作を書いた著者は、やはり上手い作家さんなのだな、とも思うのです。
変えられない現実を、どうストレスとせず生きるか
発達障がい児の親を始めて約10年経ちます。
不登校児の親としては、2年目です。
子どもは去年よりは学校に行く日が増え、参加できる授業も増えたし、テストも久々に受けたりしました。
行けない授業は家で教えたり、最低限の知識は学年相応につけさせようと、親の私も孤軍奮闘中です。
自分としては、自分も子供も頑張っている、と思っています。
私から見れば、この一年で子供は格段に成長しました。
しかし、学校からすると、「もっともっと来てほしい」「頑張ってほしい」なのだな…と、個人懇談で担任と校長と話して、思い知りました。
しかし、私はもうこれ以上のペースでは、子供が超好転しないかぎり、頑張れない、と思ってしまいました。私が、がんばれない。
今現在、実家の親も高齢で、サポートがいる状態になっており、頻繁に実家に私は通っているし。
子どもの成長は、めちゃくちゃゆっくりです。
私は毎日、車で往復して、たった1時間や数時間だけの登校の送迎をしています。
つれていったら、すぐお迎えです。
学校から見れば、たった数時間しかこずに何をやっているのだ、ということかもしれませんが。
そのたった数時間いかせるために、ものすごくいろんなことをしています。
授業についていくための予習や、行っていない授業を私が勉強しておしえたり。
24時間、寝る時もそばにいる子供の相手や世話をして。一人になる時間は、かろうじて授業にこどもがいく1~2時間だけ。
放課後デイサービスもレスパイス目的で利用していますが、そこでも他の子とトラブルになり泣いて帰ることもあるので、預けてもよいことばかりではなく、気も使います。
起きている時間ずっと、なんらかの心配や不安が付きまとう。
寝る時も、なんだか熟睡できない。
それで、体がとうとう悲鳴を上げました。
ストレスで引き起こされる病気にかかり、過敏性腸症候群も再燃し、肝臓の数値もおかしいとのことで、ここのところは病院通いばかり。
平日は子どもを預けられないので、土曜日に旦那にあずけて、いろんな科のクリニックにいっています。
子どもの障害や不登校については、受け入れていたつもりでした。
最初はショックだったけど、前向きに、やれることをすればいいんだと思っていました。
しかし、学校側が「もっともっと」と親に強要してくること、でも子供は実際には「もっと」ができる状態ではなく、いますでに頑張っていること。
主治医は「いまの調子で十分がんばっているから、いまのペースでいいんだよ」といってくださるのですが。
学校から掛けられるプレッシャーを、親として押し戻そうとやりとりするのが、つかれます。
そこに、実家の親の心配も重なり。
体が、受け止めきれなくなったのだと思います。
私の「気持ち」は大丈夫だ、大丈夫だとおもっていても。
あれよあれよといううちに、体に免疫低下による病気の症状がでたり、血液検査で異常値がでたり。いままでかかったことの無いような病気があらわれ始めました。
体が「大丈夫じゃないよ、むりしているよ。このまま頑張るとやばいよ」と言ってくれているのだと思う。
しかし、現実は変えることができないばかりか、この先も長く、この状況が続きます。
どうしたらよいのか。変えられない現実を前に、どうストレスと生きていけばいいのか。
認知を変えればよい、というのはよくいう話で。
「つらい」と思うから辛い、と言ったりしますね。
でも、本当につらいのです。
「辛いと思わず、自分なら乗り越えられると思えばいい」のかもしれない。
でも、心ではそう思っていても、体が悲鳴を上げてしまった。
子どもが不登校になるまでは、在宅で仕事をしていたので、わずかですが収入もあったし、誰かの役にたてたり評価される喜びがありました。
納期はつらかったし、仕事をしてそのあと家事と子育てもあり、体もへとへとでしたが、仕事中は「たのしいな!!」と思うことも多かった。
今はそれもない、というのも、心身に影響しているかもしれない。
ストレスを昇華したり、自分の力を認めてあげられる機会が、全くない。
なんというか、自分は身内を助ける、支えることだけの人生になっているように思うのです。
それはそれでいいのですが、ここまで体に影響が出てしまうということは、私の心身は、それではいけないのだろうな、と思います。
でも、いま仕事を出来る状態ではないので。
かわりに、何か没頭したり、評価されるようなこと、達成感があるようなことをしたいな、とは思うのですが。何をしたらよいのやら。
なにか、自分が生きている生きがい、みたいなものがほしいところです。
交感神経(緊張)をOFFにし、副交感神経(リラックスモード)をオンにできるもの。たのしいな!!と思えること。
不登校の低年齢児がいて仕事ができないと、自由に使えるお金がなく、超節約生活なので、お金も使えないし(笑)。家をあけることもできないし。
なにかいい趣味とか、励めるものはないかな~!
ASD偏食娘の、食べられるものが急激に増えた
もうすぐ10歳の娘。
ASDで、元々くちの感覚過敏もあり、こだわりもあり、食べられるものに偏りのある子でした。
基本的に、くにゅっとしたような中途半端な食感の食べ物を受け付けない、硬すぎるものも口がイガイガするのでムリ、のような。
細かく書くと、本当にたくさんの物が食べられず、
混ぜご飯やワンプレートランチのような、味が混じる食事も無理。
初めて食べるものも無理。
そのため、外食では食べられるものが限られ、親が希望してもなかなか決まった店にしか連れていけなかったのです。
(うどん、ラーメン、ポテト、からあげのどれかがある店にしかいけなかった)
それが。小学校入学くらいから徐々に初めての食材にもチャレンジできるようになり。
お子さま向け以外の食事にも興味を示すようになり。
嫌いだった和食も、食べれることが増え。
10歳近くになり、最近は和食のお店の大人のメニューでも、興味を示したりチャレンジできるようになりました。
前なら全く手を付けなかった昆布の佃煮や、豚汁、炊き込みご飯など。
それから、嫌いだったり食わず嫌いだった、エビフライやアジのフライ、タルタルソース。
野菜サラダも、もりもりたべられるように。
どうやら、味覚が発達してきたのかな、という印象です。
こどもの舌は、幼い頃は苦さを感じやすいようで、野菜や濃い味のものを苦手とします。(たぶん、毒をたべないための本能?)
それが、大人になるにつれ、だんだんバランスよく味わえる舌になってくるようです。
歯も永久歯がしっかり生えてきたころから、硬い物も少しはたべるようになりました。
手先が器用になり、箸で細かいものも食べやすくなってきたこと、体が成長してお腹が大きくなり、食べる量も増えたことなども影響しているかもせませんね。
とにかく、成長することで、食べられるものは増えていくんだなと思いました。
食事の幅がひろがるのは、親もたすかるし嬉しいです。
だから。
もし発達障害の子をお持ちのかたで、子供の偏食になやんでおられたら、「個人差はあるとおもうけど、体の発達とともに、解決する部分もあると思うよ。」というのはお伝えしたいなと思います。
徐々に、徐々に…ですが、子供の体も成長するんですね。
ちなみに、食べたい物のためなら、長い行列にも我慢して並べるようになりました。
これからも、本人の自然な成長を、見守りたいと思います。
なぜ嫌だったことをまた人にするのだろう
うちの母は、ものすごく姑、小姑にいじめられた人だ。
こまごまと、重箱の隅をつつくような感じで、田舎特有の「裏を考えると意地悪な」言い方、嫌みなどを言われてきた。
それで、すこし距離をとってきたものだ。
普通、それくらい嫌な思いをした人は、「自分はお嫁さんには意地悪をしないであげよう」と思うはず。
だって、自分が嫌だったのだから。
それなのに、母はお嫁さんができると、表向きには歓迎し、優しく接しているが、裏では実の娘の私に、お嫁さんのあれこれを言ってくる。
「○○て言うのよ~どう思う?それって✕✕って意味よね?困った子だわ」みたいな。
はたから聞いていると、お嫁さんは素直に会話しているだけなのに、母が勝手に重箱の隅をつつくような「斜に構えた見方で」思い込みをして、意地悪に考えているだけなのだ。
そしてそんな母は、よくLINEでお嫁さんに誤爆をする。
愛想よくお嫁さんにLINEを応対したあと、私に向けて愚痴のLINEをおくるはずが、お嫁さんに送ってしまったりするのだ。
誤爆に気づいたら、あわてて私に助けを求めてくるが、私は我関せず。
そもそも、間違って相手に見られてもいいようなメッセージや発言をすべきなのだ、なんでも。
認知のゆがみとは恐ろしいもので、母のようにずっと姑から意地悪なことを言われてきたら、自分の考え方も意地悪でひねくれたとらえ方をするようになるのだろう。
そして、「自分が苦労したことは、他の同じ立場の人も経験すべきだ」などと考えるのだろう。
PTA役員なんかも、そうらしい。
昨今は少子化でもあるし生徒数も減っているので、PTAの役目を少しずつ減らして、共働き家庭にも負担が少なくしよう、とすると。
すでに卒業した子どものお母さんたちから、学校に電話がかかってくるらしい。
「私たちもやったのだから、後世もやるべきだ」と。
なんと理不尽で非効率な考えなのだろう。
思いやりにも欠ける。
「自分は辛かったから、他の人も辛いおもいをすべきだ」なんて…。
負の再生産でしかないではないか。
公平性を担保させたいのか。
でも、自分が辛かったなら、他の人が辛い思いをしなくなったら、喜びたいではないか。
「あの頃は辛かった、でもそれがなくなって本当によかった」と。
私はそういう意地悪な再生産が、本当に嫌だ。
母には「誤爆してこまるようなことは、他の人にも書くのはやめようね」と言っている。
なんで子がそんなことを言わねばならぬのだ、と思いながら。
自分は、娘しかいないから、「おしゅうとめさん」になることは今後もないのだけど。
もし「おしゅうとめさん」になる人がいたら、「負の再生産」だけは、やめてほしいな、とうちの母を反省材料として、お伝えしたいところです。
実際に誰かにリアルで言いはしませんが(笑)。
そんなのやっても、自分が意地悪に思われて、孫にも「いやなおばあちゃん」て思われるだけで、よいことないですしね。
ASD(自閉スペクトラム症)の子の発達、その後。
またまた久々にここを開きました(笑)。
なかなか、ゆっくりパソコンに向かう暇がないのがつらい(笑)。
はてなブログは私の貴重な癒しです。
さて。
我が子は3年生になっており、不登校は「さみだれ登校」2年目です。
相変わらず、行けると思える授業だけ行っており、遅刻で行き、早退して帰る、という感じですが、精神面は安定しており、体調もよいです。
不登校になった当初のような、腹痛や頭痛などはまったくなくなり、いける日は元気に登校しています。
あと、行けない日も、放課後登校し、担任に家でやった課題を出したり、翌日の授業について教えてもらったり、係りの仕事をして帰ったりしています。
そんなASDな娘。
幼児の頃と比べて、想像もしていないような進化をとげているので(笑)、ここで記録もかねて変化を書いてみようと思います。
<幼児期>
・発語が遅く、また2語文が出るようになったのは2歳8ヵ月。
・筋緊張が弱く、走っていると急に止まることができず良くこけていた。運動神経が悪いという感じで、何もないところでもよくこけた(笑)。
・親が料理をしている間など、ずっとぐずぐず泣いていた。赤ちゃんとか1歳とかならまだわかるが、勘弁してくれ~と思っていた。
・癇癪がひどかった。それも、急になにかに泣き叫び怒り出し、床に寝転がってうーうーうなる、泣き叫ぶ、というようなのが頻繁にあった。5歳くらいまであり、何がトリガーとなり起きるかわからないのが、親としては外出中ストレスだった。
・夜驚症がひどかった。夜中に突然、なきだして、反り返り、ぎゃんなき。いったん完全に起こして、お茶を飲ませると、また眠る。ひどい時は一晩に2回くらいあった。
(この症状のために、あまり泊りがけの旅行に行くのに躊躇していかなかった。日中の電車でのうたたねなどでも起こるため、車でいけるところしか、長距離の旅行はいかなかった。)
・偏食がすごく、すこしでも硬い物、食べたことがないもの、やさい、クチャっとした触感のものなど、食べれないものが多すぎて、親戚のあつまりとか外食で苦労した。
(でも保育園ではなぜか、給食をのこすという話は聞かなかった)
確実に食べれたのは、おこめ、フライドポテト、からあげ、うどん。
・足が濡れるのを極端に嫌がる。すこしでも靴が濡れると、頑として靴をはかないため、園から変える時に大変だった。おんぶして、靴は親がもって、とか。ビニルを足にかぶせて輪ゴムで足首のところでとめて、靴をはくとか。
お迎えに行く車に、サンダルを常備していた。
・聴覚過敏で、登園を嫌がるようなことが増えた。最初はなぜ登園をいやがるのかわからず、あれこれ聞いてみたが、結局「子供たちの声がこわい」というのを自分で言えたことにより、聴覚過敏が発覚。それまで赤ちゃん期から、人ごみや親戚の集まり中や、新幹線移動でなぜか泣き出してとまらなくなることがあり、謎だったが、聴覚過敏のせいだったとわかった。(言葉で不快の理由を説明できるようになったために、わかったこと。)
<小学3年の現在の様子>
・発語の遅れを心配したことがあったのが信じられないぐらい、立て板に水のごとく話す。YouTubeで会話を習得したようで(笑)、ゲーム実況チャンネルとか、ヒマワリチャンネルとかで覚えた言葉をメインに使う。
大人顔負けに、むずかしい語彙をしっている。意味までしっているのか不明。変なチャンネルはみないようにタブレットは大人のフィルター管理のもとつかっている。
会話はできるが、やや一方通行気味。でも先生とも、お友達とも、楽しく会話している。五月雨登校児のくせに(笑)、授業では積極的に挙手して発表する。
・体の使い方はあいかわらずヘタなかんじで、足も遅いが、急発進、急停止など、敏捷な運動ができる。運動音痴だった親よりは頑張ってスポーツができる。体育の授業はすきではないが、家で自分で縄跳びで遊んでいたりする。ダンスが好き。
・幼児期は親が家事をすることを泣いて嫌がったが、今はYouTubeさえあれば家事ができる。料理も手伝ってくれるし、昼ご飯などはラーメンや簡単なチャーハンなどは、お願いすると作ってくれる。CMで見かけたあたらしい食品を積極的に試すタイプ。
算数はほぼ、料理の時におぼえている(mlとか。)
・癇癪で床にねころんで爆泣き、とかはなくなった。ただ、急に不機嫌になり、静かに切れて急にどこかに走り出そうとする。こまるので、キッズケータイをもたせておいたり、親がはしっておいかける。でも親も追いつけないくらい速いことがあるので、「店からはでない、迷子になったら店の人に放送してもらう」などを何度もいいきかせている。家で癇癪したときは、プチ家出をしている。直ぐ帰ってくるのでもう親もとめず、本人用のショルダーバックにGPSbotを入れており、お小遣いのはいった財布もはいっているので、勝手にセブンイレブンなどでちょっとしたお菓子をかってかえってきたりする。(財布の中に、親の連絡先もかいていれている)。何かあった時の対処法も、本人にくりかえし言い聞かせている
・夜驚症は消失。ぐっすり寝ている。
・旅行は、イヤーマフをして新幹線ででかけられるようになった。
・初めてもものでも食べてみることが増えた。寿司など、当初は考えられなかったものにも挑戦している。ただし、お高い食材を好んで食べるようになり、別の意味で親は悲鳴。
・足が濡れるのは今でもいやがるが、少しであればがまんできるようになった。
・聴覚過敏は継続。ただし、イヤーマフや耳栓で本人が自分で対応できるようになり、ただただ泣き叫ぶということがあまりなくなった。しかし、あまりに周りがうるさいと、非常に疲弊するので、早退したり、その場に行くのを次から嫌がるなどはある。
…といった状況です。
こうしてみると、かなり成長はしているように思います。
ASDの子は、ちょっとみんなより遅れ気味ではあるが、コミュニケーションも成長しますし、特性に自分で対処したり、ちょっと我慢してみるということも、ゆっくり身に着くように思います。
だから、あまり先々を心配しすぎず、周りと比べすぎず、「できた」ところを見つけて褒めてやる、というのが大事かなと思います。
とはいえ、親も心配だから、くらべてしまいますが。
これからも、あまり心配しすぎず、一歩一歩。一緒に歩いていきたいです。
不登校児の成長は ある日突然に。
久々にここを開きました。
我が子の学校も、新学期、新学年です。
去年の途中から不登校になってしまった我が子。
完全にいけない状況のときは、学校の玄関に入ることさえ無理で、行こうとすると激しい頭痛や腹痛が。
それから少しずつ、行けそうな日に放課後、宿題を取りに行き翌日の時間割を確認して、担任と楽しいことを御喋りして帰る、というだけ行ってみるようになりました。
(外出機会と学校とのつながり確保、担任との信頼関係作りの意もあり。)
もともと発達障害があり支援級なので、発達に詳しい医師を受診したり、学校のカウンセラーに相談したり。
学校以外の居場所や子供との交流の場として、放課後デイを利用するようになったり。
休んだ日は、最低限の漢字と算数だけ、なんとか楽しんで親が教えたり。
模索の日々。
不安や外部からの刺激への反応を和らげるくすりを服薬し始めたこともあり、少しずつ学校への抵抗感が減り。
実技系の授業なら、自分で決めた授業だけ出席して、終わったら帰る、ということができるようになりました。
クラスメイトも少しずつそんな我が子のペースに慣れてくれたのか、たった一時間でも、行けばみんな優しく、しっかり参加して勉強して帰れるようになり。
子どもの表情も随分明るくなりました。
家では最低限の学習と宿題をすませたら、ゲームとYouTube三昧の日々。
運動不足になると筋力が下がるので、時々歩いて散歩にいったりもしていました。
親としては、少し登校できることも出てきたけれど、こんなに他の子と違って「あきらめる」「やめておく」ことばかりで、大丈夫なのかという心配があり。
子の将来を思うと、忍耐力もなく何かを成し遂げる経験も少なく、集団が苦手で、どうなるのかと悲観することもありました。
しかし。
進級する少し前から、なにやら色々と急成長をみせはじめた我が子。
身辺自立で、うまく自分でできない行程があったのが、「やってみるわ」と意を決して自分でできるようになったり。
運動を長い時間するとか、長距離を歩くとかが苦手で、できるだけやらない子だったのに、急に「あそこまで行ってみるわ」と長距離を歩いてみるようになったり。
ついには「もっと長く、最後まで学校に居てみるわ」と言い出した。
インスタで、他の自閉症のお子さんでも、進学時に「自分は大きくなった」という自信がつき、急激にお手伝いが上達するという投稿を見たことがあり。
我が子もこれかな、と思ったり。
ただ、どれも突然「やってみるわ」というので、親としては「え、え、今?」とちょっと焦るシチュエーションとかもあったりするのですが(私が足を痛めてる状態でちょっといっしょに散歩に出て、急に「今日は遠くまで歩く」と言われたり笑)。
そんな時、「おそらく今のタイミングを逃したら、とても大きな芽をつむことになる」と親の直感で感じて、必死で付き添いました(そして足は悪化するやつ笑)。
きっと、新学期はいろんな新しい教材をもらえたり、あたらしい教室だったり、新しい先生になったり、「チェンジ」してもらえるのが、楽しみなのかもしれない。
(通常、自閉っ子は環境変化に弱いが、不登校児になると、「環境が一新される」方が、自分も新たな挑戦をするチャンスと考えるのかもしれない。)
あるいは、「もう新しい一年生も入ってきて、さらに自分たちはお兄さんお姉さんになる、さらに上級生になるのだから、それに見合った風に過ごしたい」という、年齢相応の「プライド」が、そうさせるのかもしれない。
(発達っ子は概して「精神年齢が幼い」といわれるが、年齢相応の「プライド」は、時によって顔を出すように思います。)
あるいは、不登校をして家でダラダラしている間にも、体が成長して前年より年齢相応の体力・体格の変化があった(筋肉の持久力や身長の伸び)のかもしれない。
(その証拠に、身長が1年でかなり伸び、以前はすぐ疲れていたのが、最近は長時間外遊びしても元気。体力が有り余っているように感じる。)
また、あまりにも親とだけずっと家で過ごしていると、暇になったり、新鮮味がなかったり、同年代の子と過ごすのが恋しくなったのかもしれない。
(暇というので、こちらが何か遊びを提案しても、それは嫌とか言われて、親と遊ぶだけなのがもういや、という感じが最近は垣間見える。)
それに、放課後デイや、ちょっとだけ学校にいっていた間に、先生方のサポートで、いろんな「家ではできない体験」を積んで、何か心と体の訓練・成長・自信になったのかも。
(親には甘えてしまうことでも、他人相手だと仕方なしにでも頑張れる時ってある。)
もちろん、家で、親があきらめずに「ちょっとだけこれしてみよう」と、機嫌がいいときに、できなかったことに少しずつ挑戦させてたのが効いたのもあると思いたい。
…とまあ、きっといろんな要素によって、不登校児でも、心身が自然と成長をしているのだと思う。
だから、「不登校児だから成長してない」なんて絶対ないし、「不登校でずっと家にいたら、なにも学ばない、できない」なんてわけはない。
特に体は、なんとか3食たべさせていれば(たとえ納豆ご飯とか毎日昼はうどん、とかでも)、子供はどんどん体がしっかりしていく。
いつもいっしょにいると気づかないけど、ふとした瞬間に「あれ、こんなだったっけ、なんか成長した?」て感じるし、運動や行動で、できるようになることがふえる。
心も、安心と安全を確保して、やりたいことをしこたまやらせてあげると、「もっと他に○○してみたい」という成長欲求みたいなのが出てくるかもしれない。
(うちも、ゲームをやりこんだから、飽きてきたのかもしれない。)
他の子の様子や、下級生の様子を聞いて、刺激を受けて「自分はどうしよっかな」と自分で考えるようなこともあるかもしれない。
アニメや漫画やYouTubeを見て、「かっこいいな、自分もあれやってみたい」と思う事だってあるようだ(うちはドラえもんの映画ののび太くんの頑張りをみて、困難にチャレンジすることが少し増えた)。
とにかく、親が想像・想定していたより、かなり「思いがけないタイミングで」、できなかったことができるようになったりしているので、びっくりしています。
もちろん、これから「2歩あるいて3歩下がる」とかあると思うし、「0歩あるいて8歩下がる」もあると思うけど。
逆に「いきなり鼻歌歌いながら5歩進む」もあるのだなと、発達障害不登校児を見ていて思います。
不登校になった当初、カウンセラーにも医師にも「この子のペースがあるのでしょう。納得がいくまで、この子のペースでやらせましょう。それが一番近道だよ」「やりたくないこともやってみようかなと、成長に応じてだんだんそういう気持ちも出てくるから」といわれました。
また学校の先生にも「学年が上がっていくと、だんだん自分で自分をどうするか、周りを見ながら考えることもできるようになる。本人が考え出すのを待ち、それに合わせて、挑戦したい気持ちが出たらサポートしていきましょう」とも言われていました。
発達が凸凹だと、「非定型発達」とも言われるとおり、健常の子より少し心と体の成長がゆっくりで、通常と違うカタチで成長すると言われます。
通常の学校の学年で求められることについていくのが大変で、不登校になりやすいのかもしれない。
でも、みんなから少し遅れて、自然と「できるようになる」成長なのかもしれません。
だから「少し遅れてついていく」を、学校や支援者には容認してもらい、遅れがちな分の本人の気持ちと行動を、サポートしてもらいたい。「遅れてもいいよ、一緒においで」と言ってほしい。そうしているうちに、追いついていけるかもしれない。
つくづく感じるのは、「子供の心身に宿っている、自然に成長する力は、親の想像をはるかに超える力がある」ということ。
だから、親や周りがしてやれるのは、「育っていくはずの芽を、できるだけ強風からは守り、でも元気な時はときどき雨風にもあててやり、でも基本はあたたかな陽ざしで包むこと」なんだと思う。
寒い冬の時期、「これほんとに春になったら芽が伸びるの?そもそも芽が見えないんだけど生きてる?」みたいな状態の植物でも、時期が来たらぐんぐんのびて葉を伸ばし、花を咲かせて実を付ける。
親としては、そんな時期がやってくることなんて、渦中にいると想像さえできなくて、不安になって時には子供に八つ当たりしそうになるけれど。
安心して子供の成長を信じて、「心の安心安全」を確保し、納豆ご飯でもいいから3食提供し(笑)、心身の虐待さえしなければ。
きっと、いつか勝手に成長する力が、こどもたちには備わっているのだと、我が子に教えてもらいました。
これからももちろん休んだり元に戻ってしまったり、親子で煮詰まって苛々したり、の繰り返しがあるのですが。
今回子に教わったことは、これからも信じていきたいと思います。
仕事をやめた年の確定申告 ~不登校児をかかえて~
今年度の夏を最後に、仕事を辞めた。
不登校児に向き合い、家で勉強を教えたり、時々とつぜん登校する子に付き添うことに専念するためだ。
在宅ワークだから、やろうと思えば、子供を放置しながら仕事はできる。
しかし、うちの子はまだ低学年。
仕事のために部屋にこもっても、「ママ」と一緒にいたがるし、自分で自学自習なんてできない。
放置すれば、かけ算や漢字など、低学年の大切な時期の基礎的な学習さえできないままになってしまう。
だから、今はあきらめて、子供のことを優先しようと決めて、仕事をやめた。
やめるまで、じたばたと仕事をなんとか頑張った。
受け付けてしまっていたクライアントさんの仕事は、なんとか子供をなだめすかしたり、夜中にやったりして、やり上げた。
子どもが・・・と状況報告し、やむなく今後の契約は中断させてほしい旨をつたえるのも、つらかった。
でも、自分で決めたのだからと、腹をくくった。
それから約半年たった今。
確定申告の準備をしている。
今年度はわずかな仕事量ではあったけれども、一つ一つ、支払い調書などを印刷し、報酬一覧をながめながら、ちょっとウルっとくる。
わたし、本当によくがんばったよなぁ・・・。
作成した記事のタイトルが書かれた支払調書を見ながら思う。
そうそう、これ書くの大変だった。リサーチに苦労した。
これは楽しい仕事だった。書いていて幸せだった・・・など。
1つ1つの記事の報酬は少ないけれど、子供がだんだん五月雨登校がひどくなって、仕事の時間が計画通りとれなくなってきた頃の仕事だ。
子どもをとるか。仕事をとるか。
私とあそんですごしたい子供を説き伏せながら、なんとか仕事して納期に間に合わせ、旦那に協力してもらいながら休みの日に書きあげ。
学童にいかなくなってしまったので、学童の先生に毎日欠席連絡し、「学童辞めます・・・」と告げた夏休みのある日のこと。
自分はなにも体制がかわらなくていい旦那のことを、うらみがましく思った日々。
いろいろと思い出して、自分をほめたくなった。
よくがんばった。よく耐えたね。辛かったね、仕事したかったね。
でも、いつかまたしようよ。子どもが大きくなったらさ。
私の人生、終わりじゃないから。がんばって積み上げていった日々は、無駄にはならないよ、きっと。
ともかく、挑戦したのだから。
子どもが昼寝している時間だけでもと、在宅ワークをスタートした6年前。
一時保育に預けながら、仕事量を増やしていった日々。
保活をがんばって、保育園にはいれて、本格的な仕事を開始して、個人事業主になって。いくつかのクライアントさんと長期契約できて。
ちょうど軌道にのって、それまでより高い単価の指名をうけられるようになった矢先の、子供の不登校だった。
そのがんばりは、消えないから。私はがんばれるってことは、自分で分かったから。
またいつか、がんばれる。
いまは、子供のサポートをがんばろう。
今年の確定申告準備期間は、そんな、ちょっと自分の軌跡をふりかえるような感じ。
いつになく、さみしいような、でも自分の状況を受け入れて肯定していくような、そんな時間になった。
人生は長い。私も子供も。
「今やれること」を、コツコツと、やっていこう。