地方のかたすみでちょっと想う~HSPな視点から~

結婚して西日本のまあまあ田舎に住み始めました。 マイペースに地方の片隅で日々育児をしながら家事をしながら、想うことを健忘録的にかいてみます。私は HSP(ハイリ―センシティブパーソン)。娘もHSCかと思ったらASDと。

不登校児の成長は ある日突然に。

久々にここを開きました。

我が子の学校も、新学期、新学年です。

 

去年の途中から不登校になってしまった我が子。

完全にいけない状況のときは、学校の玄関に入ることさえ無理で、行こうとすると激しい頭痛や腹痛が。

 

それから少しずつ、行けそうな日に放課後、宿題を取りに行き翌日の時間割を確認して、担任と楽しいことを御喋りして帰る、というだけ行ってみるようになりました。

(外出機会と学校とのつながり確保、担任との信頼関係作りの意もあり。)

 

もともと発達障害があり支援級なので、発達に詳しい医師を受診したり、学校のカウンセラーに相談したり。

学校以外の居場所や子供との交流の場として、放課後デイを利用するようになったり。

休んだ日は、最低限の漢字と算数だけ、なんとか楽しんで親が教えたり。

模索の日々。

 

不安や外部からの刺激への反応を和らげるくすりを服薬し始めたこともあり、少しずつ学校への抵抗感が減り。

 

実技系の授業なら、自分で決めた授業だけ出席して、終わったら帰る、ということができるようになりました。

 

クラスメイトも少しずつそんな我が子のペースに慣れてくれたのか、たった一時間でも、行けばみんな優しく、しっかり参加して勉強して帰れるようになり。

 

子どもの表情も随分明るくなりました。

 

家では最低限の学習と宿題をすませたら、ゲームとYouTube三昧の日々。

運動不足になると筋力が下がるので、時々歩いて散歩にいったりもしていました。

 

親としては、少し登校できることも出てきたけれど、こんなに他の子と違って「あきらめる」「やめておく」ことばかりで、大丈夫なのかという心配があり。

 

子の将来を思うと、忍耐力もなく何かを成し遂げる経験も少なく、集団が苦手で、どうなるのかと悲観することもありました。

 

しかし。

進級する少し前から、なにやら色々と急成長をみせはじめた我が子。

身辺自立で、うまく自分でできない行程があったのが、「やってみるわ」と意を決して自分でできるようになったり。

運動を長い時間するとか、長距離を歩くとかが苦手で、できるだけやらない子だったのに、急に「あそこまで行ってみるわ」と長距離を歩いてみるようになったり。

ついには「もっと長く、最後まで学校に居てみるわ」と言い出した。

 

インスタで、他の自閉症のお子さんでも、進学時に「自分は大きくなった」という自信がつき、急激にお手伝いが上達するという投稿を見たことがあり。

 

我が子もこれかな、と思ったり。

 

ただ、どれも突然「やってみるわ」というので、親としては「え、え、今?」とちょっと焦るシチュエーションとかもあったりするのですが(私が足を痛めてる状態でちょっといっしょに散歩に出て、急に「今日は遠くまで歩く」と言われたり笑)。

そんな時、「おそらく今のタイミングを逃したら、とても大きな芽をつむことになる」と親の直感で感じて、必死で付き添いました(そして足は悪化するやつ笑)。

 

きっと、新学期はいろんな新しい教材をもらえたり、あたらしい教室だったり、新しい先生になったり、「チェンジ」してもらえるのが、楽しみなのかもしれない。

(通常、自閉っ子は環境変化に弱いが、不登校児になると、「環境が一新される」方が、自分も新たな挑戦をするチャンスと考えるのかもしれない。)

 

あるいは、「もう新しい一年生も入ってきて、さらに自分たちはお兄さんお姉さんになる、さらに上級生になるのだから、それに見合った風に過ごしたい」という、年齢相応の「プライド」が、そうさせるのかもしれない。

(発達っ子は概して「精神年齢が幼い」といわれるが、年齢相応の「プライド」は、時によって顔を出すように思います。)

 

あるいは、不登校をして家でダラダラしている間にも、体が成長して前年より年齢相応の体力・体格の変化があった(筋肉の持久力や身長の伸び)のかもしれない。

(その証拠に、身長が1年でかなり伸び、以前はすぐ疲れていたのが、最近は長時間外遊びしても元気。体力が有り余っているように感じる。)

 

また、あまりにも親とだけずっと家で過ごしていると、暇になったり、新鮮味がなかったり、同年代の子と過ごすのが恋しくなったのかもしれない。

(暇というので、こちらが何か遊びを提案しても、それは嫌とか言われて、親と遊ぶだけなのがもういや、という感じが最近は垣間見える。)

 

それに、放課後デイや、ちょっとだけ学校にいっていた間に、先生方のサポートで、いろんな「家ではできない体験」を積んで、何か心と体の訓練・成長・自信になったのかも。

(親には甘えてしまうことでも、他人相手だと仕方なしにでも頑張れる時ってある。)

 

もちろん、家で、親があきらめずに「ちょっとだけこれしてみよう」と、機嫌がいいときに、できなかったことに少しずつ挑戦させてたのが効いたのもあると思いたい。

 

 

…とまあ、きっといろんな要素によって、不登校児でも、心身が自然と成長をしているのだと思う。

 

だから、「不登校児だから成長してない」なんて絶対ないし、「不登校でずっと家にいたら、なにも学ばない、できない」なんてわけはない。

 

特に体は、なんとか3食たべさせていれば(たとえ納豆ご飯とか毎日昼はうどん、とかでも)、子供はどんどん体がしっかりしていく。

いつもいっしょにいると気づかないけど、ふとした瞬間に「あれ、こんなだったっけ、なんか成長した?」て感じるし、運動や行動で、できるようになることがふえる。

 

心も、安心と安全を確保して、やりたいことをしこたまやらせてあげると、「もっと他に○○してみたい」という成長欲求みたいなのが出てくるかもしれない。

(うちも、ゲームをやりこんだから、飽きてきたのかもしれない。)

 

他の子の様子や、下級生の様子を聞いて、刺激を受けて「自分はどうしよっかな」と自分で考えるようなこともあるかもしれない。

 

アニメや漫画やYouTubeを見て、「かっこいいな、自分もあれやってみたい」と思う事だってあるようだ(うちはドラえもんの映画ののび太くんの頑張りをみて、困難にチャレンジすることが少し増えた)。

 

とにかく、親が想像・想定していたより、かなり「思いがけないタイミングで」、できなかったことができるようになったりしているので、びっくりしています。

 

もちろん、これから「2歩あるいて3歩下がる」とかあると思うし、「0歩あるいて8歩下がる」もあると思うけど。

逆に「いきなり鼻歌歌いながら5歩進む」もあるのだなと、発達障害不登校児を見ていて思います。

 

不登校になった当初、カウンセラーにも医師にも「この子のペースがあるのでしょう。納得がいくまで、この子のペースでやらせましょう。それが一番近道だよ」「やりたくないこともやってみようかなと、成長に応じてだんだんそういう気持ちも出てくるから」といわれました。

 

また学校の先生にも「学年が上がっていくと、だんだん自分で自分をどうするか、周りを見ながら考えることもできるようになる。本人が考え出すのを待ち、それに合わせて、挑戦したい気持ちが出たらサポートしていきましょう」とも言われていました。

 

発達が凸凹だと、「非定型発達」とも言われるとおり、健常の子より少し心と体の成長がゆっくりで、通常と違うカタチで成長すると言われます。

通常の学校の学年で求められることについていくのが大変で、不登校になりやすいのかもしれない。

でも、みんなから少し遅れて、自然と「できるようになる」成長なのかもしれません。

 

だから「少し遅れてついていく」を、学校や支援者には容認してもらい、遅れがちな分の本人の気持ちと行動を、サポートしてもらいたい。「遅れてもいいよ、一緒においで」と言ってほしい。そうしているうちに、追いついていけるかもしれない。

 

つくづく感じるのは、「子供の心身に宿っている、自然に成長する力は、親の想像をはるかに超える力がある」ということ。

 

だから、親や周りがしてやれるのは、「育っていくはずの芽を、できるだけ強風からは守り、でも元気な時はときどき雨風にもあててやり、でも基本はあたたかな陽ざしで包むこと」なんだと思う。

寒い冬の時期、「これほんとに春になったら芽が伸びるの?そもそも芽が見えないんだけど生きてる?」みたいな状態の植物でも、時期が来たらぐんぐんのびて葉を伸ばし、花を咲かせて実を付ける。

 

親としては、そんな時期がやってくることなんて、渦中にいると想像さえできなくて、不安になって時には子供に八つ当たりしそうになるけれど。

 

安心して子供の成長を信じて、「心の安心安全」を確保し、納豆ご飯でもいいから3食提供し(笑)、心身の虐待さえしなければ。

きっと、いつか勝手に成長する力が、こどもたちには備わっているのだと、我が子に教えてもらいました。

 

これからももちろん休んだり元に戻ってしまったり、親子で煮詰まって苛々したり、の繰り返しがあるのですが。

 

今回子に教わったことは、これからも信じていきたいと思います。