地方のかたすみでちょっと想う~HSPな視点から~

結婚して西日本のまあまあ田舎に住み始めました。 マイペースに地方の片隅で日々育児をしながら家事をしながら、想うことを健忘録的にかいてみます。私は HSP(ハイリ―センシティブパーソン)。娘もHSCかと思ったらASDと。

幸せは他人に言われて気づくこともある?

最近、気づいたこと。

今の私は、娘の事とかいろいろあっても、割と幸せなのではないか、ということ。

 

産後の私は、実家から離れた田舎に引っ越して、生まれた娘は発達の遅れがあり、なんだか正直「ささやかな幸せはあるけど踏んだり蹴ったり、夢見てた生活と全然違う」と思うこともありました。

 

しかし、現在は引っ越してきた土地にも慣れ、娘も都会よりプレッシャーが少ない環境で伸び伸びと過ごしてやや落ち着いてきており、安定しています。

 

私自身、都市部に住んでいた時は「休日はどこの店に行こうか」と考えたり、「どこか素敵な店にいってストレス発散したい」と散財していました。

 

が、田舎では全部車で行かないといけないし、あまり近くにおっしゃれ―なお店もなかったりするので(笑)、散財しなくなり。

 

今はコロナの関係もありますが、休日は1日だけどこかに出かけて、残りの日はのんびりしています。

 

もらった野菜を色々料理してみたり。

家にある材料でお菓子を焼いてみたり。

部屋をみんなで掃除してすっきりしたり。

 

主人も、そんなに収入が増える予定も出世の予定もありませんが(笑)、私自身が仕事をもっていることでそんなの気になりません。

 

むしろ、異動で少し早く帰ってくれるような職場になったので、その方が嬉しい(残業代が減る分は私が稼げばいい。)

 

主人はそんなに奥さんが喜ぶようなことをスマートに出来たり言えるような主人ではなく、武骨な人ですが、おだやかで笑いあえて大工仕事が得意で助かる(笑)。

娘のことも、なんだかんだ一緒に受け止めて考えて乗り越えようとしてくれている。

理系の専門職の話は結婚前はチンプンカンプンだったけど、よく聞いているうちにこっちも詳しくなり、話が分かるようになり世界が広がり、主人の職場の話題も楽しみになっている。自分の知らなかった世界に連れて行ってもらえるような。目をキラキラさせて好きな分野の話をする旦那はちょっとかわいい(笑)。

 

そんなことを思っていて、母にそのことをふと話すと「あんた、幸せだね~」と言われ。

同じころ、友達にも「なんだかんだ、幸せそうじゃん」と言われ。

 

当たり前の日常について、他人に言われて初めて「しあわせかもしれない」と思ったんですね。

 

産後の私は「そうはいっても、娘の未来も分からないし、私たち夫婦の老後も不安だし」と思っていましたが。

 

自分の生きている状況を落ち着いて見られるようになり、また楽しめるようになり。

受け入れていけるようになり。

そこに他人から状況を認めてもらえると、やっと幸福感を感じて自分の人生を自信を持って生きていける気持ちになりました。

 

自分で幸せを感じて自信をもてばいい、とはいっても。

やはり、他人から認めてもらえるのは幸福感を強く実感することになり、更なる自信と後押しにつながりますね。

だから、私も、他の人がしあわせそうならあえて「幸せそうだね」と言葉にしていってあげたいなと思います。

謙遜されたとしても。

「幸せそうだね」なんて、人生でそう何度も言われる機会なんてないと思うから。

思ったら、思うだけでなく、伝えてあげると、もっともっとお互いに嬉しい気持ちになるから。

 

「塞翁が馬」で、また運気の波が沈むようなことがあっても、逆に運を盛り返すこともまた出てくると思うので。

幸せそうなときにははっきり「幸せそうだね」と伝えてあげたい。

それが、世界を明るくすることになるのかな、なんて思う次第。

コロナ禍だからこそ、いいな、と思うことは「素敵ですね!」って伝えて、みんなで明るさを盛り上げていきたいですね。