地方のかたすみでちょっと想う~HSPな視点から~

結婚して西日本のまあまあ田舎に住み始めました。 マイペースに地方の片隅で日々育児をしながら家事をしながら、想うことを健忘録的にかいてみます。私は HSP(ハイリ―センシティブパーソン)。娘もHSCかと思ったらASDと。

「生きがい」について

益田ミリさんという方の本が好きで、たくさんもっています。

特に「週末森で」と、その続編の「きみの隣で」は何度も読み返している。

 

あまりに好きすぎて、リビングのすぐ手にとれるところに置き、なにか落ち込んだら手に取るし、何なら子供も優しい表紙絵のこの本を私の手から奪い、「読む」ふりをしては、自分のおもちゃ箱に持っていってしまう(笑)。

 

そんな「きみの隣で」の中の一篇で、独身の娘をもつ母親が、娘の行く先を案じて頻繁に娘の家をたずねては結婚の心配をするというストーリーがあり。

 

その母親に偶然森で出逢った主人公は、「子供は生きがいよね」といったことをその母親に言われ、「子供はいきがいではないですね、大切だけど、生きがいは一人一人の中にあるものだと思います」といったようなことを答える。

 

これについて、益田ミリさんは、巻末に参考資料を載せていて。

~「生きがいについて」神谷美恵子 みすず書房~

‥‥とある。

 

気になってこの「生きがいについて」を読んで見たら、本当に私が常々悩んでいたことの答えがそこにあった。

 

生きがいは、「腹の底から湧き出る喜び」であり、理由などなくただ「やりたいからやる」活動で得られるのだとか。

 

そして、生きがいを失った人は、孤独になり自殺を考えたり、神経を病んでしまうことがあるという。

 

自分の存在が何かのために必要だと、強く感じさせてくれることを求めて人はもがくのだと。

 

例えば、ハンセン氏病の療養施設に入所していた人が、園内の観測施設で働き出すと、心身症のようなものだったのが軽減し。

年金をもらえるようになったからと就労を止められると、また心を病んでしまったなど。

生きがいとなるものがある人は、同じ環境下に生きていても、そうでない人と違って、未来に光を見ることができ、生き生きと暮らせると。

 

もちろん、子どもが生まれたことで、子どもを育てることを生きがいと感じる母親は多いでしょうが、私に関してはそれはなかったのです。

 

私は娘を生んだ時、喜びも感じましたが、残念なことにホルモンの影響ですぐに産後鬱状態に入ってしまい、たったの一日も「子供が生まれて幸せ」と感じる暇もなく、「死にたい」と感じてしまっていました。

 

子どもがかわいい、子どもがいて幸せだと感じられるようになるのは、何か月も経ってからのことです。

 

しかも、その後も娘の障がいによる特性が激しく、ほとんど眠れない日々、癇癪で何時間も泣き続けるなど、非常につらい日々でした。

 

「かわいい」とは思う瞬間もあるのですが、「この先どうなるのだろうか」という光のみえない状況があまりにも長すぎた。

 

だから、子どものことを落ち着いて客観的に見つめながら子育てしていく為にも、子育ての他に「私の生きる希望となること」を本能的に求めたんです。

 

それが「ライティング」でした。

 

子どもがわずかに寝た瞬間に、コツコツと書きあげる。

週末夫がいる間にいそいで書く。

一時保育がとれたときに、しっかりかく。

 

それが、「私」の人生を生きている、と感じられる、唯一の時間でした。

ライターを始める前は、朝布団で目覚めても「ああ、朝が来てしまった」という絶望しかありませんでした。

しかし、仕事を始めてからは「今日は何記事かけるかな!」と、非常に能動的な気持ちで起きられるのです。

 

もちろん、母親として責任を持って、愛情を持って、子どもを育てていますし、娘はかわいいです。成長して少し癇癪も減り、寝てくれるようになったので前よりは良い状態です。

 

しかし、やはり娘の将来を思うと、どうしても未来へ「光」を感じるのがなかなかむずかしい。どうしても「悪い」将来にならないか気になってしまう。

 

子育てだけが生きがい、ではない分、子どもにべったりにはならないので、良い距離がとれているとも言えますが、子育てと別のところで、「希望」や「生きている張り合い」を感じないと、私は生きていけないんですね。

 

益田ミリさんの本いわんとするところを想像するに「子供は子供で生きがいを持つべき、親は親で生きがいを持つべき」という事だろうと思います。

 

そして、私の現在の生きがいは、やはりライターという仕事です。

 

お金をたくさんもらえなくても、「ぜひこの案件を書かせていただきたい!」というものに応募して、採用されて、書いて、評価される。

誰かに読まれて、その人の役に立てる。

もちろん、書けばいくばくかの報酬がもらえます。

でも、やはり「求められて書く」「誰かに届く」ということが、生きがいなのです。

 

だから、「たくさん稼がなければ」と思って案件を探すと、大抵マッチングできない。

贅沢だと言われるかもしれませんが、「これについてぜひ書きたい」という案件の方が、相性がよいのかすぐ決まることが多いです。

 

家のローンとか考えると、できるだけ稼ぎたいところではありますが、私は「書かせていただきたいテーマ」で仕事探しする方が合っているのでしょう。

それで結果としてマッチング率が高い方が、稼げますしね。

 

これらの本を読んで、やはりライティングの仕事は「生きがい」なんだなと強く実感しました。単なる「稼ぐための仕事」じゃないんです、私には。

たぶん、これを奪われると、私は死んでしまう。

心が病んで、動けなくなってしまう。

だから、細々とでも仕事は続けたいな。

 

もちろん、他にも生きがいになるような楽しみが見つかれば、それが一番です。

でも、今は娘の世話で精いっぱいなので、趣味にも時間を割けません。

いつか、もう少し娘の世話の時間が減ったら、いろいろ試してみたいです。

 

今は、娘の五月雨登園のために、「書きたい」と思ってもうまく登園してくれず、書けない日があるので、仕事を少なくしています。

クライアントに迷惑をかけてはいけませんから・・・

でも、やっぱり書くことは生きがいなんだなと思い出して、これは絶対守っていくことが大切だと心に決めました。

 

娘に将来「お母さんは、仕事ばかり」と言われないように気を付けながらも、娘に「なんで仕事するの?」と聞かれたら「ママにとってはこの仕事は生きがいなんだよ」「生きるために必要な活動なんだよ」と答えたいと思います。