地方のかたすみでちょっと想う~HSPな視点から~

結婚して西日本のまあまあ田舎に住み始めました。 マイペースに地方の片隅で日々育児をしながら家事をしながら、想うことを健忘録的にかいてみます。私は HSP(ハイリ―センシティブパーソン)。娘もHSCかと思ったらASDと。

娘は、癇癪が減った代わりに、登園しぶりになっているのではないか?

ASDの娘は、4歳くらいまで頻繁に癇癪を起していました。

まだ言葉で細かく自分の気持ちを伝えられないので、泣き叫ぶ、パニックになるという行為で、「そうじゃない!」「わかってもらえない!」という思いを表現していたんでしょうね。

 

その後、入園したことで、少しずつ言葉が増えてきて、物事に折り合いをつける・納得するということができるケースも前よりは増えてきて。

(ものごとがそう決まっている理由、とかがわかるようになってきた?前頭葉などや精神が成長してきた?)

癇癪は随分減りました。

 

しかし、それと同時に、登園しぶりが強く出る時期が出現。

また自宅に帰ると何をやるにもすんなりとはせず、いやだいやだ、あとであとで、ちょっとむずかしい、の連発。

 

子どもなんてそんなもの、と言われたら仕方がないのですが、なんだか娘が上手く気持ちを表現できていないし、私も、娘が園で抱く色々な思いを、わかってない気がします。

 

私が思う以上に、娘は毎日、保育園で色んな葛藤や「嫌だな」という体験、泣きたくなるような体験をしているのだと思うのです。

今はイヤーマフをするようになり、音についての不安は軽減しているようですが、やはり集団保育に対しての辛さはあると思う。

また年長になり、先生としても「今年中に教えておかないといけないこと」なども出てきていると思うので、求められるものもレベルが高くなっていると思う。

 

そこについていけないな、という思いが、娘に辛さを感じさせているのかもしれない。

 

娘は大体、1年と少し、発達のペースが遅れているようです。

(発達検査の指数、普段の様子から見て。)

だから、ちょっとずつ、「しんどいな」と思うことがあるのだと思う。

もし私が、年中の時に年長のクラスに入れられてたら、すごくしんどかったと思うし、周りが何をやっているのか、よくわからないこともあったと思う。

周りの子が当たり前にできることを、できないのは、悲しいと思う。

おうちにいたい、と思うはず。

 

でも、もしも年中のときに、年中のクラスにいられれば、安心して周りと一緒に遊べるし、そんなに自分を卑下したり、「むずかしい」と感じる機会もないでしょう。

 

娘は、検査の結果、知的な遅れはそこまでないけれど、体の使い方が不器用で疲れやすく、短期記憶(ワーキングメモリ)が弱く、聞いたことを覚えて理解したり、耳から聞いてわかることが苦手です。

それは思うに、手足や体が少し不自由な感じ、鎧を着たように重さのある体で動くような、そんな感じ。

そして、外国語で授業をうけているような、そんな感じかもしれません。

(これは完全には適切なイメージではありませんが…)

 

「とりあえず、行ったら楽しいから、行ってごらん?」と私がいう事で、「ママもわかってくれない」と感じているかも。

 

この間、録画していた「不登校の子」についてのEテレの「ウワサの保護者会」という番組をみなおしました。

かつて不登校でひきこもっていた女性(今は教員)が「おもいっきり、充電していたのがよかった。いざ、自分が興味のある世界ができて、外に出たいと思った時に、存分に行動できた」と話していました。

 

娘も、「もうしっかり休んだな、行ってみようかな」と思えるくらいに、時々休ませてあげるといいのかもしれない。

 

療育先の先生は「でも、娘ちゃんは休んだ後、行ける日もあるのがすごいね。半日だけ行く、とかもありで、休憩しながらでもいけるといいね」とおっしゃいます。

 

私は、仕事をもししていなくても、娘を一人で毎日、ずっと見るのがつらくて。

(かつて鬱になった状態の辛さを思い出すから)

それで娘に登園してほしい、という気持ちも、正直あります。

母親しっかくかもしれないけれど、私が再び鬱になったら、それこそ家庭が崩壊してしまうから。

 

でも、娘がしんどいのに、無理に登園するのも、可哀そうとも思う。

一番は、「何がしんどいのか」を、もっと私が知れたらいいなと思います。

娘にとっては、漠然と、いろんなことが負担なのかもしれない。

行って過ごすエネルギーがどうしても出ない状態なのかもしれない。

行けるときは、元気に行くんですもんね。

顔つきが全然違うから。

 

人の気持ちって、見通しが立たないからむずかしいです。

仕事には見通しが必要。計画しておかないと、できない。

だから、娘にも、生活に見通しを立てて欲しいなんて、無理難題を思ってしまいます。

 

他のご家庭でも、たまにお子さんが休み明けなど「いかない」という日もあるそうですが、おじいちゃんおばあちゃんが預かってくれるらしく。

 

うちは、それができないので、まあ、私も頑張っている方だなと自分で思います。

何でも自分で解決しようとしていて、私も頑張っている。

旦那さんが仕事は休まなくていいように、私が調整していて、私偉い!(笑)

自分でほめなきゃ、どんどん辛くなるから。

 

一応、仕事は「娘が月に5日は不登園になる」ことを想定して、スケジューリングしています。

だから、娘も、その日数は「充電」してもいいんです。

それ以上に休んだら、もうその時は、土日に調節するしかない。

なんなら、最悪仕事がなくなるのも覚悟はしている。

 

ただ、こういったことを自分一人で解決しないといけないのが、私はつらいですね。

主人が大黒柱なので、私が仕事しなくても、余裕はなくなりますがなんとかやっては行けるのが救いですが、なんだか疲れます。

娘が休むたび「娘はこの調子で、将来はどうなるのだろう」と考えてしまって。

イライラしたり、娘と笑顔で遊んであげられない。

人間だもの・・・

それはいけないとわかってるんだけど。

 

子どもが親の思い通りに動くとは思っていませんが、「なぜいやなのか」の理由がよくわからないのが、とても霧の中をずっとあるかされるようでつらい。

 

たぶん、何か一つの原因を取り除けば、娘は登園できるというわけじゃないのだろうな、と思います。

いろんな要因がくみあわさって、登園をためらわせているのかと。

 

もう少し、はっきりと言葉や文章で、困りごとを表してくれるようになれば、また分かりやすいなと思います。原因によっては、先生と調整して取り除けるかもしれないし。

 

今できるのは、「こういうことかな」「こういう気持ちかな」と、娘に表現することを教えることくらいかな。

 

そして、できるだけ、お話をして、毎日娘の想いを外に出させてあげることかな。

 

そんな風に、思っています。

 

それで、少し、心が軽くなったり、行っても大丈夫かもしれないと思える回数が増えてくれたら、親としても安心するし、ちょっとだけ自信になるかもしれないです。

 

「わかってあげる」だけでも、子どもにとっては明日を生きる大きなパワーになるのかも。

 

癇癪が減ると、周りから見た「困難さ」はわかりづらくなるけれど、相対的に以前と比べて本人の困り感は減ってはいないのだろうから、口で表現して、吐き出させるようにさせてやらないといけませんね。