毎日昼休憩に朝ドラの「スカーレット」を見ています。
スカーレットの主人公は当初はまだ珍しかった女性陶芸家。
夫婦で仲良く陶芸家として活躍していましたが、自分だけの作品をと考えたときに昔拾った信楽の焼き物ならではの天然の釉薬「自然釉(しぜんゆう)」を再現しようと電気釜で焼くのが主流になっているなかで昔ながらの穴窯で焼くことに取りつかれてしまいます。
穴窯は一回火を入れると何十万という薪代が吹っ飛ぶくらい費用がすごくかかるもの。
しかし主人公は一人息子の武志の学費にコツコツ溜めていた貯金を使ってでも成功するまで穴窯で焼くと言ってきかずとうとう夫は家を出てしまいます。
それでも主人公は穴窯に火を入れ続けます。
ネタバレになるのでその後のなんやかんやは飛ばしまして。
2月7日(金)の回では大学受験の歳になった武志が陶芸を教えてほしいと主人公に頼むシーンが。
土をこね作品を作りながら「楽しい」「陶芸は楽しい」という武志。
そのシーンを見ながら思ったこと。
陶芸でもなんでも、出発点は「楽しい」という思い。
「楽しい」「いつまでもしていたい」「私からこれをとらんとって」。
そう思えるものに出会ったら、人はそれ以上のことはないくらい幸せですね。
納得のいくものをもっとたくさん作りたい、どんどん研究してもっともっといいものを作りたい。
そう思える何かがあるのは生きる喜びです。
でもその道でお金を稼ごうと思うと追求すれば追求するほど、どこかで「つらい」「楽しかったのにしんどい」「うまくできない」という段階になります。
そこを突破すれば「自分だけの」「誇れるもの」が生み出せる段階に上がれる。
「この道を選んでよかった」と思える時ですね。
そこまでいければ、ある程度自分のペースで自分色のものを作っても評価をもらえるようになるのだと思います。
私にとっては「文章を書くこと」がこの「楽しい」「いつまでもしていたい」ことです。
でもライターとして仕事をしていると「つらい」「しんどい」というときがあります。
「楽しい」のまま、お金をもらわないままでいれば楽なのですが、やはり自分で言葉を生み出し相手のニーズに合うように合わせながらも納得のいくものにするのは大変。
疲れ果てていると全然進まないことがあり100%納得のいくものに仕上がらないまま納期に迫られ提出せざるを得ないこともあります。
子育て中なんだし子供もまだ小さいんだから、子育てに専念したら?という人もいます。
それでも「やめたい」とは思わないのはなぜか。
それはやっぱり「できた…!!」というあの何物にも代えがたい達成感を知ってしまったから。
私なんてしがない低単価ライターです。
私が記事作成をしなくなっても変わりがすぐ見つかってたぶん誰も困りません。
それでも、「これなら伝わる」「誰かにきっと届く」と思える、心底納得のいく文を作れることがあります。
自分の今までの経験や見聞きしたことを総動員して、自分の何十年かの人生の中で蓄積した語彙を頭の中で総動員して、キーボードを打つ手が勝手に動き出すような。
そういう体験をして納期までにリクエストを全てクリアしたものができると、やはりものすごい達成感なんですよね。
まあ高単価の人は更に提案力や取材力などもすごいのだと思いますが。
やっぱり「人に伝わるものができる」「人に届けたいものを届けられる」というのは辛さが吹き飛ぶ喜びです。私にとっては。
スカーレットの主人公の息子、武志は陶芸に興味があるし楽しいけど進路に選ぶかは今日の段階ではまだきまっていません。
武志は子供のころから両親が陶芸の難しさと向き合っているのを見てきているので一筋縄にはいかないことをわかっています。
でも、できればやっぱり回り道をしてもいいから「楽しい」と心底思えるものはしっかり自分で何らかの形でつかみ取ってほしいなと思います。
「楽しい」と思えるのもある種の才能の一つですから。
同じことをしてもぜんぜん楽しいと思えない、苦しさしか感じない人だってたくさんいるんです。
「楽しい」は才能の第一歩だと思います。
そしてしっかり稼げるようになるには私もまだまだなのですが、次のステージに上がるまで悪あがきする時間が必須です。
私もあがいていきますし武志もがんばってほしいな、、なんて勝手に思いました。
あがいていかねばいけないのは、体の中から湧き上がるような「楽しい」「幸せ」なものを授かった人への神様からの「試練」という名の更なる贈り物なのかもしれませんね。