地方のかたすみでちょっと想う~HSPな視点から~

結婚して西日本のまあまあ田舎に住み始めました。 マイペースに地方の片隅で日々育児をしながら家事をしながら、想うことを健忘録的にかいてみます。私は HSP(ハイリ―センシティブパーソン)。娘もHSCかと思ったらASDと。

Eテレ「バリバラ」でHSCが取り上げられた!

NHKEテレの「バリバラ」という番組で8/29にHSCについて取り上げられました。

 

私もNHKに「HSC HSPについて取り上げてほしい」と要望をおくったことがありますが、ようやくこのような日が来ましたね~!

嬉しい嬉しい(´;ω;`)

 

HSCの男の子はとっても強い敏感さをもっている子で、HSPの私から見ても「大変そうだなあ、しんどいだろうなあ」と思うほど。

借り物競争をするとき人にものを借りるのがつらくて運動会ででられなかったり。

お友達に一斉に話しかけられて全ての子に応えられなかったことで相手を傷つけたのではないかと落ち込んだり。

 

私はそこまでではなかったかなぁ、、と思いながら見ていましたが。

 

でもだんだん「わかるわ~」と思うことがあるわあるわ。

・学校から帰ると気疲れでぐったり

・人がたくさんいるとつらい、人が多くなるとドキドキする

・レストランで赤ちゃんがいると泣いてしまわないか気が気でない

・レストランなどに入ると店員さんが忙しそうで大変そうで気が気でない

・他の子を先生が怒っていると自分が苦しくなって辛くなる

・人の顔色が気になって仕方がない(気にするなと言われてもむり)

・人の感情がながれこんでいるように感じてつらい

 

これらは本当に小さい時は特に悩まされていたことで。

大きめのスーパーやショッピングモールは30分くらいしかいられなくて空気に酔いやすいというか、人ごみの空気に雑多な濃い色がついているように感じてすぐ外にでないと気分が悪くなってた。家族には理解できなかっただろうなあ。着たらすぐ「帰ろう」っていうんだもん(笑)。あとゲーセンとかみたいなにぎやかなところは刺激が強すぎて頭がチカチカする感じで長くいられませんでしたね。

 

そして、他人よりかなり疲れやすい子でしたね。体力はつかってないのに、外から帰るとぐったりでした。

みんなは遊ぶと元気になるっていうのに、私は疲れ果ててました。

これは小学校はまだ人間関係もよかったのであまり気にせずぼんやりすごしていたので傾向が弱かったですが、中学以降に激しい人間関係の波に放り込まれると気疲れや人の顔色を察する能力が最大限に開花して辛かったです。

大学生になっても、人と出かけると楽しいんだけど帰ったらぐったりで、翌日は必ず家で一日中寝ている日を設けないと回復できなかった。

 

そして激しく同意だったのが「お店に赤ちゃんがいると泣きださないか気になって仕方がなくてドキドキしちゃう」っていうのと「レストランの店員さんが忙しそうで気になって仕方ない」っていうの。

そうなんだよね~!私レストランとか閉ざされた空間に入ると瞬時にそこにいるお客さんの顔色を察知してしまう(笑)。あ、あの人機嫌悪そう、とか店員さん焦って手が足りてなくて大変そう、とか。もういっそのこと手伝っていいですか!?って思ってしまう。そして赤ちゃんは表情がよくわからないから、ドキドキするのかもね。急に表情が変わるのも怖いと感じた。自分が赤ちゃんうんでも、必要以上に泣き出さないか気にしたり鳴き声が責められているように感じたな。

 

ただ、「人の感情が流れ込んでくるように感じる」のは、結婚してから少しだけ弱まりました。

なぜかというと、旦那が完全なる非HSPで、ご家族や親せきも全員非HSPだったので、「ああ、非HSPの人たちってこんなにも色々なにも感じないのか」「この人たちの顔色を読んでも、読みが当たらないなあ、そんなに色々気にしたりそもそも私が感じたようには思っていないんだなあ」というのがダイレクトに体験できたからです。

かなり衝撃な体験でした。

それまではHSPな家族や親せきが多かったので、もう事細かく気にする人たちの中で育っていたので「こんな世界があるんか、というか世間の8割が非HSPというから、もしかしたら世間のほとんどの人はこんな風に私が顔色を窺っても意味ないくらい大して気にしたりこまごま考えてないんか!?」と気づいたから。

 

自分が生まれてずっとHSPとして生きていると、その感じ方を世界のすべての人もしていると思い込んでいたんですよね。

みんなも私と同じように思っているはずなのに、なんでそんな鈍感なの?って考えてたり。

それが、「実はほとんどの人はコチラが気にするようなことを何も気にしてない、そもそも考えてない」という発見は、新大陸発見程の衝撃でした。

これ以降、必要以上に他人に気をまわしすぎるのは収まりました、気にしても無駄ってわかったから。気にはなるけど「いやいや、相手は何とも思ってない、思ってない」と考えるように、リハビリ千本ノックをうけたあとみたいになりました。

こまごまと気にする人の前でだけ気にしようかなと(笑)。

このことに気づけたのは結婚した最大のメリットでしたね。

旦那が非HSPだったからこそ、「ねえ、今日お義母さんあんな感じだったけど実はこう考えてたんかね?」「は?なんも考えてないよ、今頃爆睡してるわ」みたいな、私の察しすぎや相手が何も考えてないことの答え合わせを気兼ねなくできたのがよかった(笑)。他人の非HSPに「そんな何も気にしてないよ」て言われても、いや~きにしてるやろ?って疑ってしまうもんね。

 

そうそう、出演してたHSCの男の子のばあちゃんがこれまた生粋の非HSPで。めっちゃ面白かった。

面白いほど繊細な子の感じ方をわかってなくて受け入れられなくて。

でも、多くの非HSPの親や周りの人がこんなかんじなんだろうなとよくわかった。

HSCの男の子が「赤ちゃんが泣かないかドキドキした」「人の視線が気になる」とレストランで感じているときに「え、赤ちゃんなんていた?」「レストラン人が少なくてさみしい」とか感じてるなんて。ほんと真逆。

男の子も「ばあちゃんはだから、競争とかおもしろかったり迫力があるとかそういうのが好きなんだね」と言っていて、お互いの感じ方の違いを理解しあっていた。

どっちがいいとか悪いじゃないんだよね。どっちもちがってどっちもいい。

だからほんと、人類には非HSPHSPどちらもいて初めて、世界を正確に細かく大きくとらえて生きていけるんだなと実感しましたね。

 

ただ、そのばあちゃんも言っていたけど「HSCの子がどう感じて辛いのかわからないから辛い、運動会に参加できていないのをみて涙が出た」というように、非HSPHSPをわかってあげられないことを辛いと感じたりもあるんだなと、それが身内だと特に。非HSPも優しくて人の幸せを願っているんだよね、みんなに笑っていてほしいと思っているんだよね。だから敵ではないんだよ。たまに「気にしすぎ」とかいって理解しない責めてくる人もいるけど、悩んでいることを知って納得できたら幸せを願ってくれるんだ。「ばあちゃんの小学校のころは楽しいことがいっぱいだったよ」「○○くんにも学校で楽しいことを体験してほしいな」という言葉の通り、自分も幸せを感じていたいし周りの人と「幸せだねぇ」って笑いあっていたい人たちなんだよね。心底そう思ってくれてるから、くらい顔してるとひとことアドバイスを言わずにはおれないのかなと思った。

今回みたいにHSPと非HSPが一つの場面でお互いどう感じたかを発表しあうとか、なかなかできない面白い取り組みを見れました。

感じていることを背中を向けてそれぞれ言葉にして伝え合う、というのもなるほどなと。まあこれができない場合は日記に吐き出すといいなと思います。

私も小学生からずっと日記に心のつぶやきをつづってなんとか生きてきましたからね。

長沼先生もいうように、HSCは相手の気持ちを思いやりすぎてマイナスな気持ちを外に出すのが苦手だから。文章に吐き出すのもアリだと思う。

 

そして番組内で「診断名がついたほうがいいとかでなくこういう特徴があるから気を付けた方がいいよということです」と補足があって、ほっとした。

 

長沼先生も出演されていて「マイナスの感情を吸収してしまうスポンジのよう」「たわしとちがって全部吸収して、出すことが苦手」と。

「スポンジは周りに変な子だ、気にしすぎだといわれすぎて傷がつく」と。

 

ゲストのりゅうちぇるは「自分は完全にたわしだわ!ぜんぜん気になんないもん」といっていましたね(笑)。

うらやましい(笑)。

 

あと番組の最後にHSPの方から「自分は感度セレブだと思って楽しんでいる」「敏感でよかった、不登校の子の気持ちなどを理解して教員ができる」といった意見もあって。

りゅうちぇるも「僕なんて磨いてもぜんぜん磨けないことだから、それは才能だ」みたいに言ってくれて、嬉しかったですね。

 

HSPだからといって、どうしてほしい、というのははっきり言いにくいですけど、そういう人もいる、と多くの人に頭においてもらえるようになれば、少なくとも責められることはないんじゃないかなと思うし、学校の先生方の接し方のヒントにもなるのかなと思いました。

 

そして長沼先生がいっていたように、HSPの方では感じすぎて自律神経に不調が怒りやすいのでそれを外に出していく努力が自分を守ることになるかなと。

信頼できる家族には「これがつらかったな」と吐き出してみたり、静かに自分の好きなことをして緊張しっぱなしの体と心をリラックスさせたり、日記に書いて吐き出したり。

そして、「感度セレブ」らしいですから、その感受性の高さをしっかり生かして深く感動、深く共感で芸術分野は存分に楽しんでいきたいですね。