たまに考えることがある。
もしも結婚しなかったら、子供を産んでいなかったら、私はどう生きていたかな、と。
というのも、もともと私は体が弱くて人とでかけるのが疲れやすいし、コミュ障タイプだし、冷え性がひどかったから子供は難しいかもね、と母に言われていたこともあって。
あまり結婚願望もなく、子供がすごく欲しいというタイプでもなくて。
どちらかというと「ぼんやりと独身で子供もできなくてなんとなく生きるんだろうな」と思っていたのです。
でも一人時間やおうち時間が大すきなタイプなので、一人でも全然よいし楽しめると思っていたのです。
(むしろ他人と暮らしたり子どもの世話をする暮らしの方が想像できなかった)
しかし、なんと結婚してしまった。
子どもも授かった。
ありがたいことだけれど。
子どもの頃の私の人生設計とは少し違ってきました。
あれ?なぜこんなに自分以外の存在に時間をかける生活になっているのだ?
自分の時間が全くない・・
(子供を寝かしつけてから楽しもうと思っても、疲れ果てて子供と一緒に寝て、気づいたら朝・・)
ありがたいけれど。
よく自分がこの生活がつとまっているとびっくりしているほどです。
まさか私が子どもの世話をできているとは・・(自分の世話もままならない人間が・・)
まさか旦那さんのごはんまで毎日つくるようになるとは・・(実家にずっと住んでて自分のごはんすら作れなかったのに・・)
人間、窮地に立たされるとやれるようになるものです。
しかし、出産によって産後鬱→過敏性腸症候群+パニック障害+ヘルニアと、失ったものも大きく。
おそらくこれは一生つきまとうもの。
おまけに娘は発達凸凹っ子。
これまた想定外の未来でした。
子どもを産む前に戻れたら、どんなにこんな病気に苦しめられないだろう、と考えることも。
しかし、おそらく。
子どもをたとえ授かっていなくっても。
私はなんらかのメンタル疾患になっていたと思うのです。
たぶんそういう気質なんですね。
日々が常に精いっぱい。
そして、結婚してなかったとしても。
それはそれで、別の悩みを持って、やはり心身がきつかったと思う。
気質、体質もあるし、これはもう、ゆるゆると自分流に(周りに色々いわれたりこうしたら?とアドバイスされたとしても聞き流して)対策をたてて、無理せず生き延びていくしかないのだと、思っています。
人生はらせん階段のように、乗り越えられなかった課題がまためぐってくる、といいます。
逃げた問題は、また形を変えて時期を変えて、自分の前に現れる。
だから、それを克服できるように、工夫したり心の持ち方をかえたり、他人への「見方」を変えれば、同じような問題はおこらなくなる。
まあ、「修行」ってことですね。
私は、今修行中なのでしょう。
結婚したことで「さみしい」という問題はなくなりました。
子どもを産んだことで「産まなければいけないのではないか」というプレッシャーはなくなりました。
(でも、また老後に1人になったら再燃するかもしれないし、また別のプレッシャーを感じるかも。娘の将来の心配とかね。)
しかし。
「悪い方に考える」「世間体を気にして無理してしまう」「自分らしい生き方がわからない」という課題は残りっぱなし。
娘によって「世間体」とか「我が家らしさ」について、うちはうちでいい、と殻をやぶりつつあるので、これは克服できるかもしれないです。
あとは「良い方に考える」とか「未来を悲観しずぎない」っていうのがまだ修行がたりませんね。
独身のままでも、子供を授かっていなくても、この問題は延々と私に付きまとっていたはず。
だから。
どんな人生を歩んでいても、自分の個性に対する「問い」「課題」は、生涯修行なんだろうなと思うのです。
だから、どんな人生を選んでいても。
間違いではないし、正解かもわからないけど。
みんな「修行中」なんだと思う。
それならどうせなら楽しく「修行」を乗り越えたいし、堂々としていたいですね。
だから、どんな人生の人も、みんな修行してて、えらいと思うのです。