地方のかたすみでちょっと想う~HSPな視点から~

結婚して西日本のまあまあ田舎に住み始めました。 マイペースに地方の片隅で日々育児をしながら家事をしながら、想うことを健忘録的にかいてみます。私は HSP(ハイリ―センシティブパーソン)。娘もHSCかと思ったらASDと。

娘の不登園と「ほんとうに”生きること”を教える暮らし」

娘の「不登園」(登園拒否)が増えてきました。

毎週1~2回は休んでいるので、登園日数が半分近くに・・・

仕事はぐっと減らしたり、土日や夜間にやったり。

もう、仕方ないとおもって今は減らしています。

 

休んでもいいけど、何をさせるか?

今はまだ幼児なので遊ばせていますが。

もしも来年就学してからも、本格的に「不登校」の日が増えたら。

勉強だけでなく、「生きるということ、暮らすということの楽しみ」を教えたいと思う。

 

勉強の自宅学習も大事だけど、それが大事と思えて楽しめるには、「生きるって楽しみ」って思えないと、そんな意欲湧かないと思うんです。

 

学校が楽しくない、家もすることがない。

でも成長していく。大人になってしまう。

楽しみがないのになぜ大人にならなきゃいけないの?

 

そんな風に絶望してほしくない。ただでさえ、生きづらさを抱えて生まれた子なので。

 

その為には、家事を一緒にしたりも大事だけど。他の生き物の生きる姿を見てエネルギーをもらうのも一つかなと。

 

たとえば。娘が捕まえてきたバッタを、毎日草を入れ替えて、霧吹きして。

その姿をじっと眺めているだけでも楽しい(私が(笑)。)

 

こどもちゃれんじの付録で「オジギソウ」を育ててるんですが、それも「ケアすればするだけ大きくなるし、触るとお辞儀する!」というのでせっせと水をやり応援している娘。わたしもついつい様子をチェックしていつくしんでしまっている。

 

自分以外にも、地球にたくさんのいきものが、それぞれ生きて成長している、それをおすそわけとして眺めさせてもらって楽しませてもらえる暮らしをさせたいなと。

 

なので、庭造りを本格的に始めようと思います。

 

これまでは、娘が休んでいるとなんとなく庭に出したくない(ご近所の目が気になる)気持ちだったけど。

どうせ家にいる日が今後も多いなら、「あそこの子は休んでいるけどいろいろイキイキとやっておもしろそうにすごしてるわ」と見てもらう方がいいかと。

なぜなら、今後もこの地域で娘は暮らしていくので。

地域に分かってもらっている方がいい。

 

近所はお年寄りが多いのですが、お歳よりは発達障がいに詳しくないので、「障害があって」というと「まあ、そんなふうにいったらあなたが子供の個性を否定することになるわ!」と思う人もいそうなので。

「ちょっといろいろ苦手が多くて」「いろいろ成長がゆっくりで」と説明しています。

 

近所の子には、わたしからはなにもいわず、フォローだけして遊ばせています。

(就学後に本格的に一緒にあそぶようになったら、ママたちには「これ、むすめむずかしいんだ、苦手なの」「これでこまることがあって、訓練行ってるんだ」など、その都度困りが出たら伝えていこうと思う)

 

いろいろ苦手の多い子、だけどこれが好きな子。

 

そんなふうに、地域で認識してもらって、将来気が向いたら手助けというか、遊びに来てはなしをきいてやってもらえたら、なんて。

強く期待はせず、でも「自然に知ってもらう」のはありだと思っています。

娘がいまのところ、お年寄り人気が高いのがありがたいことです。

 

あと、庭造りは、私の為でもあります。

 

いまでも庭にはとてもたくさんの鳥や蝶がやってきて。

トリ好きなわたしにはたまらない環境で。

これからベリー類や鳥がかくれられる小さな植え込みみたいなのを植えたいと思っています。

ご近所の迷惑にならない程度に、「鳥が思わず遊びにきたくなる」庭にしたい。

私の癒し。

田舎であることの最大の利点です。

だから、わざと雑草はぬきすぎないようにして、昆虫が多少はくるようにしています。

(鳥さんが子育て中によく立ち寄ってくれるのはそのせいかな)

どうも、私は自宅内にペットをとじこめておくよりも、野生のままの姿をみるのがすきみたい。

小鳥を飼いたい、小動物を飼いたいとも思うけど、それは娘が小さいうちはむずかしいとおもうので、娘が小学校高学年くらいになったらやってみたいけど。

野鳥がのびのびと飛び回って、季節になったらツバメが渡りに飛び立つ練習を親子でしているのをみるのが、好きです。

雑草の上で、シジュウカラが求愛して追っかけまわしたりしてるのもよく見ますし、早朝に雀がなにか地面をつっついてまわっていたり。

巣を出たばかりの「巣立ち雛」が、ママの見守りで庭をあるきまわっていたり。

バッタが飛び回っていたり。

 

そういう「生きる」姿を見ると、私も元気をもらいます。

障害っ子の子育ては「手間をかければかけた分成長につながる」とは限りません。

成長はするんですが、しっかり手をかけても大抵「数年後」に効果が出ます。

その間に周りの子はぐんぐん成長し、差があきらかになっていく。

これに、障害っ子の親はメンタルやられるんですよね。

「がんばっても報われない」のが延々と続くように感じる。

ほめられもせず、結果も目に見えない。すると「後退している」ように感じて追い詰められる。(実際には超スローペースで成長してるんですがね。)

 

でも、お花とかって、わりと手をかけてやると変化をすぐみせてくれる。

それって、なんだかとても励まされるんです。

「ああ、私の力がたりないんじゃないんだ、ちゃんと娘にも”届いてる”けど、花が咲くのがまだもう少し先なだけなんだ。だってこのお花はちゃんと咲くじゃない?」て確認できる。

娘にとっても同じだと思うんです。

「自分がダメなんじゃない。自分でも花を咲かせられる。自分がしたことは、ちゃんと影響がある、意味がある」って思えるの、大事だと思うんです。

 

そういうのに慣れてきたら、もう少し大きめの生き物(小動物や魚など)を飼ってみてもいいかもしれません。

できれば「わかりやすい反応のある生き物」がよいかも。

 

自閉症の子にとって、「対人間」はとても苦手。

でも、地球には人間より多様な生き物がたくさんいる。

すべてに「否定された」と思わないでほしい。

そんな風に思います。

 

たとえ稼げる子、定職に就く人になれなくても。

お花をそだてて、いきものをいつくしんで、ゴミを出しにいけて、自分のごはんだけ用意できて。季節の風を家の中に取り入れられる。

そして余裕があるときは、人のために力をつかって「働く」を少しずつでもできる。

たとえお金をもらえる活動ができなくても、誰かを思いやる言葉をかけてあげられる。

それが「生きる」こと、それだけでもいいんだと。

そこを教えるのが「親」かなと思って。

周りのご家庭とは少し違う視点・ペースで、歩んでいきたいと思います。