地方のかたすみでちょっと想う~HSPな視点から~

結婚して西日本のまあまあ田舎に住み始めました。 マイペースに地方の片隅で日々育児をしながら家事をしながら、想うことを健忘録的にかいてみます。私は HSP(ハイリ―センシティブパーソン)。娘もHSCかと思ったらASDと。

非定型発達

今日は「非定型発達」について。

 

娘はASDと診断されていますが、発達検査の結果をみると、知的レベルは境界域。

困りごとの具合も、「著しく集団生活に支障をきたす」ほどでは(今は)なくなっていますが、3歳くらいまでは癇癪やら集団になじめないのが激しかったのです。

 

このように、発達障がいの傾向や診断があっても、困り感が「障害」といえるほど生活に著しい支障をきたしていない場合を「非定型発達」と呼ぶそうで。

 

福祉サービスや障害年金を受ける必要が出るほどだと、障がいと呼べるのかなと。

(その場合は診断がいりますね。障がい手帳や年金の申請に診断書が必要です。)

 

なので、娘は今現在で言うと「障害とそこまでいかないレベルの間」みたいな感じ。

就学に際しても、専門家の先生方は「普通級でいけるけどね~先生と本人の努力がいりますね。そしてお母さんお父さんがかなり先生に配慮を要望しないといけないです!!がんばって!!」みたいに言われまして。

 

そんななら、最初から配慮を要請しやすい支援級で、しっかり学習させてもらおう、て思ったのです。(私もいまだに産後鬱の影響でメンタルが豆腐並なので、そんなに学校と闘えません~!!他の保護者に「おたくの娘さんが●●だから困る」とか文句言われても戦えない…!)

 

そして。私自身がおそらくHSPでもありますが、「非定型発達」な人なんだろうと思います。

 

HSPと発達障がいは、明確にちがう、とHSP概念提唱者のアーロン先生は著書で描かれていたと思うのですが。

 

非定型発達についての本を読む限り、私はほとんどあてはまります。

そしてHSPのアーロン先生のチェックリストも、ほとんどあてはまります。

 

発達も敏感さも、おそらく脳や神経系の遺伝とか変異とかの問題だと思うので、非定型発達とHSPを両立(!?)した脳があってもおかしくないですよね??

脳もきっと、多様性があるので。

 

私の場合は、「嘘がつけない」「冗談がわからない」けれど「空気は読もうとしまくるし感じまくる」のに、「肝心なときに集団(特に女性ならではの)の暗黙の了解(空気)がよめない」「マルチタスクができない」「刺激に弱く疲れやすい」みたいな感じです。

 

いやあ、めんどくさい女です(笑)。なまじっか、目立ちたくなくて大人しーく生きてきたので、これがあまり顕在化せず、ひっそり困るだけで済んできました。

 

娘の場合も、今は「非定型発達」の範疇を漂っているのだと思うのですが、娘の場合はとにかくうるさい(声も大きい、目立つことする)ので、心配です(笑)。これが周りにとって浮いて問題になると「障がい」となるのでしょう。

(本人の困り感にかかわらず。本当は本人の困り感で判断されたいのですが、人間社会では致し方ない。)

 

非定型発達は、本人は生きづらさを感じても、周囲には「普通の人」に見えていて、「普通にできるはずなのになんでできないんだろう」みたいに思われるらしい。

 

私は成績はそんなに悪くなかったのですが、とにかく集団が苦手で。まわりに合わせるのが(表面上合わせるけれども)とにかく苦痛で。みんなが平気なことでもすぐ精神が疲労して、帰宅すると泥のように眠る、と言う感じの人生でした。

 

これがHSPというだけだと思っていたけれど、子どもが発達の遅れを指摘されると、私もその傾向が、と思わずにはいられず。

しかし「障がい」に当てはまるほどの困りごとではなく。

じゃあなんなんだ、私は?と疑問に感じてきたんですね。

 

で、非定型発達、という言葉を知って。これだな…!と。しっくりきまして。

HSPにしろ非定型発達にしろ、別に診断されてるわけじゃなく、本人が自分の特徴と対処法を分かっていればいいと思うんです。

「どういう状態が疲れやすいか」「それはなぜか」「こういう場面ではこうしたら生きやすい」とか。そういうのを分かっているって、とても安心できます。

 

娘が今後、どんな経過をたどるかはわかりませんが、おそらく成長にともなって大きくゆらぐ時期には「障がい」とよべるレベルの困り感に、きもちが穏やかな段階の時には「非定型発達」というレベルのグレーな感じになるのかなと。

 

非定型発達のレベルの困り感のひとは、発達障がいと診断される人の数よりかなり多いのだそうで、こうしたことが少しずつ世に知れて「ああ、そういう人いるよね、こういうのが苦手でしょう?」なんてお茶のみながら話せるような、そんな感じになっていくと助かるなあ、なんて思います。

 

娘が大人になる頃、そんな風に、今よりはダイバーシティの考えが浸透していますように。