地方のかたすみでちょっと想う~HSPな視点から~

結婚して西日本のまあまあ田舎に住み始めました。 マイペースに地方の片隅で日々育児をしながら家事をしながら、想うことを健忘録的にかいてみます。私は HSP(ハイリ―センシティブパーソン)。娘もHSCかと思ったらASDと。

早く四十路になりたい

最近、周りに2人目どころか3人目が生まれるご家庭が増え。

正直、一人っ子の娘に申し訳ないな...と思ったり。

娘は発達が遅れてるけど、将来結婚しなかったら最後は一人にさせちゃうな、と罪悪感を感じたり。

自分の持病もあるからもう生まない、産めないって決めてるけど。

やっぱりいつまでもモヤモヤしてしまう。

だからって、産もう!なんて全く思えないのだけど。

 

もしも娘が健常に生まれてきてたら、私は二人目を望んだだろうか?

二人目の障がいリスクもおそらくこれっぽっちも心配せず産んでただろうなとか。

そしたら娘には妹か弟がいたのだろうか?どんなお姉ちゃんになっていただろうか?と考えたり。

 

健常だったら、あんなに乳児期の育児は修羅場ではなかったのか?

私はもう少し自信を持った育児を出来ていたのか?

何度も再発する鬱を患うこともなかったのか?

ストレス脆弱性でちょっとしたことで寝込むような、こんな私にはならずにいろんなことに挑戦できる私のままだったのか?

自信があって、妻としても、どうどうと夫と渡り合えるようになっていたのか?

夫ももっとむすめを 誇りに思ってくれていたかもしれない?

等も思う。

 

しかし、我が家にはこの娘が来たのだ。

この、この特性をもった娘が、来た。

もしかしたら、やってこれなかった可能性だってあるし。

子供をさずからなかったかもしれないから、こんなこと思ってはいけないのだけれど。

たぶん、発達の遅れのある子を育てたことがある人にしかわからない苦労が、実際にある。今現在。そしてこれからも。

 

ただ、この娘は来てくれたからには、ちゃんとこの世を楽しませてあげなきゃいけなくて。

でもこの娘を育てるのはとても大変で。

まるで子供を3人くらいみているような、そんな心身の消耗具合が毎日あって。

眠る時にはいつも泥のように眠るし。

いつも朝が来ると「今日も戦争が始まる・・・」と思うし。

 

いっそのこと、どこか僻地の人がいないところで、娘と夫と三人で暮らしたいくらい、「他人に迷惑を掛けない」ことに神経をすり減らす日々。

 

これでも娘は発達っ子の中では手が掛からない方みたいだけど、うちの中では癇癪もこだわりも炸裂するので、療育の先生にすら大変さが伝わりにくいほど。

だからうちの中で抱えることになる。

 

健常だったら、近所の人に平気で紹介するし、「遊んでおいて」と近所の子に近づけてあげられたのかな。

いまは若干、隠し気味。

 

普通は、成長を楽しみにするのだろうけど、娘の場合は通常の子が成長する時期をしばらくすぎてから、あ、そろそろできるようになったかな、追いついたかな、と確認してホッとするという感じ。

 

常に遅れているから。

常に不安。常に先が心配。

そんな日々に疲れる。

 

一人っ子だから、これだけ手を掛けて療育とかできていると思ってはいるけど。

 

早く四十路になりたい。

さすがに四十路になれば、「二人目は?」とは聞かれなくなっていくだろう。

私自身も、「そうはいっても、もう産めないんだから。」と開き直れるかもしれない。

 

来世では、雄に生まれたい。

産まなきゃ、とか、こう育てなきゃ、とか、メスほど気にならないでしょう?

メスほど周りにどうこういわれないでしょう?

自分以外の個体のことで、とやかく言われない生き方が出来るでしょう。

 

「女の幸せは子供を生み育てること」?

そんなことないよ。

幸せからは程遠く感じることだってあるよ。