地方のかたすみでちょっと想う~HSPな視点から~

結婚して西日本のまあまあ田舎に住み始めました。 マイペースに地方の片隅で日々育児をしながら家事をしながら、想うことを健忘録的にかいてみます。私は HSP(ハイリ―センシティブパーソン)。娘もHSCかと思ったらASDと。

みんなそれぞれ一所懸命に生きているなら、批評されなくたっていいじゃないか

娘の将来を心配して、時々私が沈んでしまう。

特に娘が聞き分けが悪かったり手が焼ける時。

きょうだいがいないから、この子は大きくなったらどうなるんだろう、と。

私たち親がついてあげられなくなったら、どうやって生きていくんだろうと。

 

娘は私よりは生命力というかバイタリティーがあり、物覚えも要領もいい気はする。

しかし、私と同様に、一人でいることや家で一人で楽しむ遊びが好きだ。

だから、もしも不登校とか、就職できなかったり、就職できても人間関係やコミュニケーションの難で仕事が続かなくなったらどうする?とそればかり気になる。

 

育児は「先の楽しみ」がないと地獄だ。

ぜったい成長する、絶対今よりましになる、という確約がないと、辛い。

もちろん、障害がない子だって、いつ寝たきりの病気になるか分からないし、結婚しないかもしれないし、仕事が続かないかもしれないとはわかっている。

でも、やっぱり今時点ですでに他の子よりできないことが多いと、心配は増すよね。

 

他のママみたいにバイタリティーいっぱいにたくさんの子を育児できない私自身にもマイナス感を感じるし、娘の将来も心配だし。

 

でも、その原因を考えてみる。

私は小さい時から優等生であれというプレッシャーを感じて生きてきたから(父の実家が厳しかった)、「人より秀でている部分がなければ生きる価値がない」と思って生きているのではないか?

 

だから、母として、妻として、一個人として、「人より優れた」状態がないといけない、子供も優れた状態で人に迷惑を全くかけない人物に育てなければ失格だとおもっているのではないか。

 

でも。

もしも娘が学校に行け無くなれば通信やフリースクールでも居場所をみつけて好きな勉強ができればいいし。

就職できなくても、障害者雇用やA型・B型事業所で、障害年金生活保護を受けながらでも、本人が何か人の役に立ったり達成感をもって周りに守られながら、配慮をうけながら、楽しく老後まで生きていければいいのでは。

障がいがあろうがなんだろうが、みんな、それぞれに今できることを精いっぱい「やろうとしている」ことが大事なんじゃないか(実際できなくても)。

自分を大切に生きているなら、周りに「あそこの子は・・・」などと批評される筋合いはないのではないか。

他人より優れている人は周りを批評したくなるかもしれないし、「できない」人になにかいいたくなるかもしれないけど。

本当に優れている人は、それさえもしないのではないか。(視野が広いし、自分もそうなる可能性はあるとわかっている)

誰だって(私だって)、周りがどういうやりかたで「一所懸命」に生きようとしていても、それを批判する権利はないのではないか。

だって、自分がその人の代わりにその人の人生を生きてあげることはできないのだから。手を出してあげられない限りは、その人のやり方に口は出せないのではないか。

もちろん、自分に危害がおよぶような場合なら少し注意を言うかもしれないけど、命を脅かされるほどの脅威で無ければ、お互い様の部分もあるのではないか。

誰だって、最後は年をとって身体が不自由になり、だれかの手を頼っていきることになるのだから・・・。

なら、娘は娘の持てる力を、できるだけポジティブな形でどこであれ発揮でき、自分の機嫌を自分でとれる、そして時々他人を笑顔に出来る子に育て上げればいいのではないか。

福祉を頼ろうとも、税金の世話となろうとも。

(その時の為に、親がしっかり納税しておけばいいのでは。)

 

私自身だって、そんなに「優れた人生」にならねばと気負う必要はないのではないか。

もともと体が弱いし、HSPでキャパが少ないので、生きるのも必死だったんだ。

仕事も、いつも人が楽々やるのと同じ量こなしただけで泥のように疲れていたんだ。

たぶん他人の「楽々」できること=私は「必死」でやらなければならない。

だから、ただ生きている、毎日継続できるカタチでやれている。

それで十分「認められる」べきだと思う。

私が今、福祉に頼らずやれている分、他の助けがいる人に福祉の手がまわるわけで。

そのうちどうしても福祉の手をかりねばならないようになったら借りればいいけど、今は必要ないように自力でがんばれているわけで。

それは私が子供の療育先とか保育園とか在宅で自分のペースでちからを発揮できる場を必死で探して獲得してきたからで。決して手を抜いているわけでもないし。

私の努力だ。

 

夫からも子供からも感謝も評価もされないけど、私も頑張っているわけで。

ただ普通に家庭がなりたっているというだけでも、それを維持できるように私が実はかなり努力しているわけで。

それを自分がわかっていればいいのではないか。

 

そんな風に、ふと思った。