地方のかたすみでちょっと想う~HSPな視点から~

結婚して西日本のまあまあ田舎に住み始めました。 マイペースに地方の片隅で日々育児をしながら家事をしながら、想うことを健忘録的にかいてみます。私は HSP(ハイリ―センシティブパーソン)。娘もHSCかと思ったらASDと。

「弱さ」とともに生きる

最近、すてきな言葉を知りました。

 

「弱いままでいい。

強くなると、自分や他人の痛みに鈍感になる。

自分は強いと思うと、他人を攻撃してしまう。

優しさを無くしてしまう。

 

弱いままでいいんです。人間はもともと弱い。

弱いままで、助け合って生きていけばいいんです」

 

ざっと、こんな感じの言葉でした。

 

これは、いかりや長介さんが、ドラマの中でいったことらしいです。

 

 

グッときましたねー。

なぜなら、私は「産後、自分が強くなってしまった」とおもったから。

母は強しといいますが、障害児を育てていると、なおのこと強くなります。

理不尽なことをいわれても動じないとか、保育園や学校とも冷静にわたりあっていかなければならない。

攻撃をするのではないですが、「どーんと立っている力」みたいなのが、だんだんついてきます。

でも、もともと私は自分でいうのもなんですが、「弱い」人です。

やさしいやさしい、といわれてきました。

やさしさこそ、わたしの良さだったのかもしれない。

 

でも、強くあろうとすると、弱い自分を下へ下へと追いやろうとする。

でも根本的に「弱い性質」はそのままなんですね。

強く見せようとしてるけど、中身はチキン。

だから、疲れるんです。

 

本当に強い人は、強くあっても余力があったり、平静でいられます。

でも私は、強くあるべき時に強くすると、ものすごく消耗します。

本来、そんな余力はないからです。

 

訓練をして精神面を鍛えればいいのかもしれないけど、私は「精神的な弱さ」も特性だと思い始めました。

鍛えれば鍛えるほど、消耗しかしないから。

 

自身を持てる場面があれば、それは力になり、精神面もつよくしてくれるでしょう。

でも、むりやり精神面を鍛えるのは、無理は禁物です。

それをやるなら、まわりの支えとフォローや励ましが必須。

かなりいい状態でやるべきです。

 

すぐに強くならなくても、いいんじゃないでしょうか。

弱いときは、弱さも認めて。

徐々に、経験を積んで、強くなっていければ。

 

そして、強くなった時、他人を攻撃したり見下げたりしないようになりたい。

それをするってことは、ほんとの強さではないんですよね。

「見かけだけ」なんです。

 

自分の弱さを自覚する、みとめることで、無理のない人間関係ができるかと。

 

その方が、安定した「強さ」に近道になるような気がします。

 

絵本の「スイミー」みたいに。

弱くてちいさな魚も、みんなでうごけば大きな力になる。

「大きなつよい魚」じゃなくても、大丈夫。