地方のかたすみでちょっと想う~HSPな視点から~

結婚して西日本のまあまあ田舎に住み始めました。 マイペースに地方の片隅で日々育児をしながら家事をしながら、想うことを健忘録的にかいてみます。私は HSP(ハイリ―センシティブパーソン)。娘もHSCかと思ったらASDと。

「弱さ」とともに生きる

最近、すてきな言葉を知りました。

 

「弱いままでいい。

強くなると、自分や他人の痛みに鈍感になる。

自分は強いと思うと、他人を攻撃してしまう。

優しさを無くしてしまう。

 

弱いままでいいんです。人間はもともと弱い。

弱いままで、助け合って生きていけばいいんです」

 

ざっと、こんな感じの言葉でした。

 

これは、いかりや長介さんが、ドラマの中でいったことらしいです。

 

 

グッときましたねー。

なぜなら、私は「産後、自分が強くなってしまった」とおもったから。

母は強しといいますが、障害児を育てていると、なおのこと強くなります。

理不尽なことをいわれても動じないとか、保育園や学校とも冷静にわたりあっていかなければならない。

攻撃をするのではないですが、「どーんと立っている力」みたいなのが、だんだんついてきます。

でも、もともと私は自分でいうのもなんですが、「弱い」人です。

やさしいやさしい、といわれてきました。

やさしさこそ、わたしの良さだったのかもしれない。

 

でも、強くあろうとすると、弱い自分を下へ下へと追いやろうとする。

でも根本的に「弱い性質」はそのままなんですね。

強く見せようとしてるけど、中身はチキン。

だから、疲れるんです。

 

本当に強い人は、強くあっても余力があったり、平静でいられます。

でも私は、強くあるべき時に強くすると、ものすごく消耗します。

本来、そんな余力はないからです。

 

訓練をして精神面を鍛えればいいのかもしれないけど、私は「精神的な弱さ」も特性だと思い始めました。

鍛えれば鍛えるほど、消耗しかしないから。

 

自身を持てる場面があれば、それは力になり、精神面もつよくしてくれるでしょう。

でも、むりやり精神面を鍛えるのは、無理は禁物です。

それをやるなら、まわりの支えとフォローや励ましが必須。

かなりいい状態でやるべきです。

 

すぐに強くならなくても、いいんじゃないでしょうか。

弱いときは、弱さも認めて。

徐々に、経験を積んで、強くなっていければ。

 

そして、強くなった時、他人を攻撃したり見下げたりしないようになりたい。

それをするってことは、ほんとの強さではないんですよね。

「見かけだけ」なんです。

 

自分の弱さを自覚する、みとめることで、無理のない人間関係ができるかと。

 

その方が、安定した「強さ」に近道になるような気がします。

 

絵本の「スイミー」みたいに。

弱くてちいさな魚も、みんなでうごけば大きな力になる。

「大きなつよい魚」じゃなくても、大丈夫。

HSP、就労時間は短めがおすすめ

私は若い頃から、8時間労働×週5日稼働、が難しい人でした。

 

とはいっても、普通の人も、8時間労働はキツイと思っているでしょう。

なにも私が特別ではないと思います。

 

しかし、私の場合、8時間労働が4日続くと、出勤が難しいくらい疲労してしまうんです。朝起きれないというか、慢性疲労みたいになってしまう。

 

がんばって出社するけど、朝から満身創痍。体がだるくてだるくてたまらない。

仕事の能率もめちゃくちゃわるく。

 

ちゃんと夜寝てるんですけど、それでもそうなってしまうんですね。

おそらく夜の睡眠だけでは、疲労がとれないんでしょう。

 

それで、若い頃は社会人として自己管理のため、週半ばに休みをとることにしていました。

幸い、平日休みがある(土曜出勤があるため)会社だったので、これが可能でした。

 

水曜か木曜あたりで休みを取れれば、わりとスムーズに一週間ベストな状態で働けるんです。

 

転職してからも、有給などを使いながら、できるだけ週半ばに休めることをキープして。

そのかわり、休む日に迷惑をかけないよう、万全の下準備をしたうえで休んでました。

 

これをしないと、休みなしで働き続けると必ずと言っていいほど熱を出すんですよね。

だから、同僚もなんとなく理解してくれて。

同僚も別の日に休みを取るってことで、OKしてもらってました。

 

なぜこんなに疲れるんでしょうか。

これHSPあるあるだと知ったのは最近のことです。

 

HSPの人は、そもそも8時間労働が体力的に持たないって人が、結構いるようで。

たぶん気遣いとか周りの音で疲れちゃうとか、そういうのが影響しているのかも。

普通の人は遊びに行っちゃう休日だって、HSPの人の場合は「泥のように家で眠る」「家で静かに過ごす」ことが多いのも、納得。

 

私の体感でいうと、仕事を効率的にできる限界は、4時間ですかね。

5時間勤務なら、週5日連続でできるかもしれません。

なぜなら、出産前に一時期だけ時短勤務にして貰っていた(パートの状態)ことがあるのですが、正社員で8時間勤務の時と同じ内容をするのですが、5時間勤務の時短にしてもらっただけで、めっちゃ効率よく仕事できまして。

給与は下がってしまいましたが、行き帰りはラッシュをさけてすいた電車で通勤できるし、精神状態も体調もとてもよい。

なのに仕事内容は8時間勤務の時とほぼ変わらない内容をこなせていたんです。

短時間の勤務の方が、集中して仕事できたってことですね。

 

今やってる在宅ワークも、ちょこちょこいろんな作業をしながらやってますが、一番集中して仕事を片付けられるのが「4時間だけ集中する」やり方です。

気を散らさずに、「ゾーンに入った」状態で集中をキープして、ものすごい能率で仕上げられます。結果として質の良い仕事をでき、報酬もそれに応じて上がっていくというイメージ。

 

だから、私にとって本当にベストなのは、「毎日4時間集中して仕事する」なんだと思います。

結局、そのペースが一番心身のバランスを崩さず継続的に仕事ができるので、仕事を詰め込みすぎて参ってしまうより良いようです。

 

4時間以外の時間は、ちょっとリラックスしてできる事務的な作業や、リサーチなどをしています。

 

敏感過ぎて疲れやすいHSPが、長年仕事を続けるには、自分が体調を崩さず働けるペースをつかんでいく、というのも大事ですね。

 

知り合いにも、ホルモン系の病気で、昼寝の時間をとらないと丸一日就労するのが難しいという疾病の方もいらっしゃいます。

(その方も、一般企業でも就労はむずかしいので、フリーランスをされています。)

 

かならずしも8時間×5日勤務、の枠にはまらなくても、これからの時代、いろんな働き方が認められるようになりそうです。

 

いや、認められるようになってほしいと思います。

もう私が働き続けないと、家計はまわらないことを夫は知らない

最初は子どもが寝ている間に何かできればと始めた在宅ワーク

現在も続いています。

稼ぎは大した額ではありません。

完全に扶養の範囲です。余裕で扶養内。

微々たるものです。

月によって収入は違うし、子供の登校しぶりのせいであまり稼げてないので、月収が片手で数えられる数万円、ということもザラ。

外で働くパートさんより少ないこともザラ。

だから、私は個人事業主ではありますが、夫はいまだに「小遣い稼ぎ」だと思っています。在宅ワーク=「一つ1銭とかの内職」だと思ってる。

自分が欲しいもの買いたいだけだろ、と。

 

しかし、彼は気づいていないのです。

もはや私が休業して収入0になると、家計が回らないのだということを。

 

たった数万円だとしても、それがないと我が家は赤字になるのです。

夫の収入だけになると。

私のたった数万円の収入が、我が家をギリギリのところで支えているという事実。

 

特に田舎なので車が二台いること。これが大きい。

維持費が半端ないです。私の車の保険代とかだけでもやばいです。

中古車とか、安いのを買ってるんですけどね。

大型の車種でもないし。

 

あと、子供のベネッセ(年払い)とか、制服代、教材費とかですね。

ババっと年度初めに出て行ってしまうお金たちの大きいこと。

 

そしてこまごまとした、娘のためにいる学用品の補充、サイズアウトしたら洋服の補充、靴類、受診代、娘用の市販の薬代、ヘアカット代、おやつ代。

 

年末の帰省の土産、おせち代、お年玉。

 

家族が食べる食品の在庫が切れたら買い出し。値上げのあらしですべて高い。

 

これらを私が負担しています。

 

自分のために使っているのは、仕事用のシステムの年払いと、サブスク1つくらいかな。(私の年収のわずかな部分)

自分の服も長らく買ってないし、学生時代の服も着ているし、ヘアサロンもなかなかいけないし。本は図書館を使ってるし。自分のことはそんな感じで切り詰めてます。

 

つまり、家のローンとか生活の必需品の部分はたしかに夫に払ってもらってるんですけど、なんというか「名前のない出費」みたいな、こまごまとした子供関連の出費とかが、こまごまと本当にあって、それを私が担当している。

 

一時期、あまりに子供の行渋りだらけで、仕事を激減させたら。

あやうく支払いできないものが発生するところだったんですよ。

(私のなけなしの貯金をつかって、何とかセーフでしたけど。)

 

最悪、旦那のボーナスから融通してもらうこともできるんですが、それはそれでためておかないと、そろそろ白物家電たちが経年劣化でお陀仏になりそうなので、それはためないといけなくて。

 

あせりましたね~

男の人はプライドが高いので、「あなたの稼ぎだけでは…」なんて言えないし。

かといって、わたしがバリバリ働くには、子供の不登校な日が多すぎる。

(まあこれは、娘が留守番できる年齢になれば解決するのでしょうが。)

 

夫は「俺が世帯を支えてる」と思ってるでしょうが、私も世帯を一部支えてるので、私が傾くと世帯全体が傾くのですよ・・・(´;ω;`)

支払いできなくなっちゃう・・・。

 

だけど大部分の世帯収入は旦那が得ているので、家事子育てはいまだに私がほぼやっていて。

だけどそろそろ、「私がみっちり仕事をいれて、こどもが学校行かなくて納期やばいときは、子供の面倒をみるとか休日に完全に子供をみて、私に仕事させてほしい、家事もやってほしい」のです。

 

もう、私に「仕事をやめる選択肢」なんてないことに、夫は気づいていない。

いまだに「好きでやってるだけ」だと思ってる。

 

子どもの送迎がいる間は2台めの車は手離せないし、子供の唯一の習い事的なものであるベネッセも切れません。(視覚優位なわが子の勉強の命綱でもある)

 

夫の収入が増えないかぎり、私は仕事を続けるしかない。

仕事をつづけながら、登校しぶりに対応して、しょっちゅう学校を休む我が子に振り回されながら、仕事をなんとか時間のやりくりして、日中できなかったときは夜中に仕事したりして、やっていくしかないのです。

 

たぶん、「もうそういう状況なんだよ」というと、デリケートな旦那の精神は破綻します。最悪離婚になるかも。

だから言わないけど、「今日も子供休んだよ、私は仕事の納期がやばい」とかは、逐一報告するようにしている。

それくらい言わせてほしい。

ほんとうにやばいんだから。

でも旦那は「そんなに大変なら、小遣い稼ぎやめればいいのに」とか、「週に数日だけ短時間パートに出た方が稼げるんじゃないの?」とか思っているかも。

でもね、パートって、シフト制。

突然その日の朝に「今日休みます」なんてできないんだよ、何度も何度もなんて。

みんな、親に来てもらって対応したり、こどもを留守番させてるんだよ。

(その結果、こどもは自由にできるから完全不登校になっている子もいる。

ゲーム依存になってる子もいた。)

 

夫は親が共働きだった(そして祖父母が面倒見ていた。ごはんも祖母が作ってくれてた)ので、フルタイム共働きで子を育てることが、あたりまえに全ての女性にできるとおもっている。

できませんからね。親の助けもないのに。

自閉っ子だから、簡単にあずけられないしね。(本人が嫌がる)

 

徐々に徐々に、事態を感じ取って、協力してほしいなと思います。

ああごめん!納期がやばくて、子供を見てて!」を増やしていきたい。

(田舎だからコワーキングスペースとかないのがツラみ。)

その前に、留守番できる子に我が子を育てる方が、早いかもしれないけど…。

 

わかってくれてるだけで、いいんだけどな。

でも伝えると夫にとって劇薬になってしまうので、言わない。

言わない私、えらい( ´∀` )

言わないけど「今月、○○の一括払い、きつかったわ~!!」とかは、伝えていきたい。こんだけ払ってるんだよ~っと。

 

夫が「頼むから、協力するから仕事続けて!料理するし子供の面倒全部見るから!子供が休んだら俺が仕事やすむし、リハビリもつれてくし、学校行事も全部行くしPTAも自分がするし」になったら、フルタイム共働きできますけどね。

いままでの反応を見る限り、そんな日は一生来ないから。

 

内向的なママの生き方

今日は「内向的な女性がママとしてどう生きていくか」というおはなし。

 

 

私は内向的な方です。

大勢でいるより、一人でいる方が、エネルギーがたまるタイプ。

 

もともとそういう自分の内向性には気づいており、「まあそれでもいいや」と思って生きていました。

 

 

しかし。結婚した相手はなぜか外向型の男性( ´∀` )。

といっても、ウェイ系ではなく、落ち着いているけどよくよく話を聞くとめっちゃ外向型、という感じです。

外向型の定義は色々あると思いますが、私は「人とワイワイしたり、刺激を受ける方が、調子がでたり楽しく感じるタイプ」と思う。

一見静かな人でも、「たくさんの人の中で過ごすのが好き」という人はいるもので。

特に目立った発言を集団の中でしなくても、「誰とでも当たり障りなく話せたり盛り上がれる」タイプがいるのですね。主人と結婚して初めてしりました(笑)。

めっちゃバランスのいい気質ですよね!

 

そんなパートナーに少し影響を受け、結婚後は前よりは「外向的な人」への心の壁みたいなのは感じなくなりました。

外向的な人のことをよく知れて、全然理解できないな~という思いから、「ちょっと分かり合えるかも」と思えるように変わりました。

 

 

ただ産後、産んだ子供は、私と同じく繊細で内向的なタイプに見えていたんですが・・・5歳を過ぎた頃から、なんとなくわかってきたのは「この子は外向型でもありそうだ」ということ。

自閉スペクトラム症だと診断されていたし、集団から浮いていたので、「自閉というからには、一人が好きなのだろう」と思っていましたが、どうもそうではないのですね。

話せるようになって、走れるようになると、集団を嫌がるという感じはなくなりました。3歳くらいのときに集団活動を嫌がっていたのは、聴覚過敏のせいだったようで。

基本的に「人といるのが好き」なんです。

お友達とワイワイ遊ぶのも好き。話しかけられるのが嬉しい。

ただ、「家に帰れば、一人で黙々と何かつくったりするのが楽しいし、邪魔されたくない」感じ。

場所によって切り替えてるんですかね。園や学校ではみんなでワクワクたのしみたい!家に帰ったら、一人で没頭したい、みたいな。

いわゆる「両向的」なタイプなのでしょうか。

 

 

だから産後、特に子供が5歳以降くらいからは、外向的な夫の影響と、両向的な娘の影響で、私もがんばって他者としっかりコミュニケーションとって、ちょっと無理して外向的な人に会わせて過ごしてみよう、ということも増えました。

 

しかし、そうすればそうするほど、普通に1日過ごしただけで、ものすごい疲労感。

そして、なぜか自己否定感がフツフツと・・・。

「私は他の人みたいにタフにできない」「他のママたちみたいに、急に誘い合ってどこかに出かけたり、集団で何かするのが苦手なんて、私は変だよね」みたいに。

「話しかけてくれて、どんどん誘ってくれるのに、それを負担に感じるなんて、私ってやなやつ・・」とか。

私自身の中身は、生まれた時からその気質は全く変わっていないのに、外向的な人に合わせようとしただけで、これだけ自己評価が下がってしまう。

しかも自分では「無理をしているから、マイナスな考えになっている」と気づいていないんです。

「私が、不器用な自分に産後変わってしまった」と考えてしまうのが恐ろしいところ。

 

周りのママがみんなちゃんとできているように見えて、そこの輪についていけない自分は「ダメ」だと、自分でレッテルを貼っちゃったんですね・・・

(子供が発達障害だから、子供が普通にできないことが多く、そこで親としても劣等感を持ちがち、というのもあるかもしれませんが。)

まわりがあまりに当たり前にできていると、できない自分がおかしいと感じるものです・・・

 

 

でもね。考えてみたら、内向的な人は3割はいると言われているんですよね。

(中でも繊細な感覚をもった、刺激に敏感なHSP気質は2割といわれる)

単純に考えて、まわりの7割が外向的な人、という環境でいたら、「自分がおかしい」と思うのも、無理ないですよね。

実際には「おかしい」のではなく、「ちょっと少数派でめずらしい」程度なのですが。

「少ないから悪い」とかではなく、事実として少ないだけ。

 

 

だから、別に私が「自分は変だ」とか思う必要はないんですよ。

悪事を働いてるわけでもないのだし。

少数派なだけ。少数派だけど、決してレアとはいえないくらいの人数は、同じような内向的な人もいるんですから。その辺にたくさんいますもんね。

私が変なのではなく、外向的な人と生活を合わせると、ちょっと体調に合わなくなって心身に無理が出ちゃうよ、ってこと。

 

それに最近ようやく気付きました(笑)。

 

HSPな気質だとは自認していたんですけど。それでも無理を続けているとは自覚がなかったです。

 

たとえば、地域のママたちと、イベントで交流しないといけない時。

お祭りの準備とかで話し合う時も、ワ―!!とみんな口々に楽しく話し始めて、その流れにぜんぜん入れない私( ´∀` )。

入れないし発言もできないけど、聞いてはいるし、何か質問されたら答えてるので、まあ皆さん楽しく話し合えてればいいと思うんですが。

こういうとき、前の私なら「私って駄目なママ・・」としょげてた。

でも、ぜんぜんダメなママじゃないですよね・・子供のイベントのためにちゃんとミーティングに出て、えらいじゃないか✨( ´∀` )

 

学級懇談会とかでも、ママたちが何か決める時に、盛り上がって女子高ノリみたいに、ワー!ってなるときがあって。

それもまた気持ち的にはついていけないのだけど・・・

前なら「この輪についていけない私って、ほんと変人だ」なんて自己嫌悪してました。

でも今は「いやいや、こんなにぎやかなミーハーしてるノリについていけなくても、全然よくない?圧倒されてるだけだよね?ちゃんとその場にいて、にこにこしてるだけえらいわ!!」と思えます。

 

内向的だと、「楽しい」「嬉しい」と思う場面が、外向的な人たちとは、全く違ったりするんですよね。

だから、そこに仕方なくつきあうようなシーンも、結構出てくる。

でも、完全にそっちに合わせようとしなくても、疲れない程度に合わせればいいんですよね。

だって、そんなに楽しくないこともあるし・・・(コッソリ)。

逆に、外向的な人からみれば、何が楽しいんだろ?という楽しみ方をするのが、内向的な人であって(^^;)

そこに外向的な人が合わせてくれる必要も、まったくないわけです。

(図書館に一緒に行っても個々で本を借りて、別々にソファで読んでくつろぐとか。

お祭りは屋台で美味しいもの買って、にぎやかな群衆から少し離れたところにわざわざ移動して、静かなところでぼーっと雰囲気を楽しみながら過ごす、とか。)

 

無理のない範囲で、お互い一緒に楽しんで、そういう趣味とか過ごし方の感覚が合う人とだけ、多くいっしょにいてもいいし。

一緒にいなくてもいいし。(ずっと一緒につるむことが、心がつながっているとも限らない)

 

子どもの関係の集まりとかコミュニティだと、どうしても外向的な7割の人たちにママとしては合わせる必要があるけど。

だからって、積極的にそこにグイグイくいこまなくても、静かにそっとその場にいたり、役にたてそうな役をかって出て、こなすだけでもいいと思う。

 

別に、いつもいろんな家族で一緒にあちこち行くような、仲良しなママ仲間のいる人が優れているわけでも、正しいわけでもないですもんね。

あれは、彼女たちが「楽しいからやってる」だけで、その過ごし方が「息苦しい、つらい」と思うママが、マネする必要はないし。

気の合う人に誘われたら、行ってみればいいけど。

子ども同士が仲良しで、行ってもいいかなと思えばいけばいいし、断ることがあってもいいわけだし。

(ごめんね、子供はいきたがってるけど、わたし外出が続くと疲れてうごけなくなるの、また誘ってね、とか素直に全然言ってOKと思う。事実だから。誰のせいでもないし。)

 

内向的なママは、ほんとうに、自分がいいと思う過ごし方をしていいし、別にそれが変だってことはないですね。

 

あと、「一見活発で、ADHDでもあるけど、実は内向的で1人時間必須なの」という人もいるんですって。

「大人しいように見えるけど、人とワイワイするのが好きな外向的な気質」の人も結構周りにいますし。

 

にぎやか=外向的、ではないし。

静か=内向的、でもないんですね。

 

だから、パッと見で「あの人は外向的」「内向的」とか、わかるものでもないみたいです。

 

うちの子みたいに「外向的(両向的)な自閉症」もいますしね!

 

そういうふうに、ややこしいくらい色んな面をもつから、ヒトって面白いです。

 

もともと持って生まれた気質は、他人がどうこう変えることができないし。

自分でそんな部分を愛して、できる範囲で他者と交流しながら、気の合う仲間を見つけていくのが、人生のたのしみなのでしょう。

仕方なくつきあっていた人と、長年の友情につながることもある。

 

だから、私みたいな内向的なママは、子供をもった瞬間から「ママたちの集団」とかに入れられてしまいますが、あまりむりせず、自分を変だとも思わず、マイペースに過ごして生きていくのが一番いいと思いました。

そのうち、気の合う人と出会えるかもしれませんしね。

(私も、支援学級のママたちとは、なんとなく気があいます。

行事等で少人数でよく話す機会があるから、深く話せるからかも!)

 

中学生くらいになっていくと、親同士のつながりとかも徐々に薄くなっていきますし。

子どもが幼少期や小学校くらいまでが、ちょっとだけそういう時期なのかもしれません。

むりせず、自分らしく、子供を見守っていきたいですね。

 

雑誌LEEの発達障害特集。

突然ですが、私は集英社のファッション誌が若いころから好きで。

nonno→MORE→LEEと読み継いできました。

 

私にとってそれらの雑誌に出てくるモデルさんとか読モのみなさんは、雲の上の存在で。

あこがれるけれど、あくまであこがれみたいな。

あんな風になりたいな~と思うけど、ちょっとおこがましい、みたいな存在で。

 

特にママになってからは、いつも髪を振り乱して子供を追いかけ、どこでも癇癪をおこすASDっ子を相手に、ファッションなんて手抜きばかりで。

 

「いつでも追いかけられるスニーカー」に「いつ髪をひっぱられてもいいよう一つ結びオンリーのヘアスタイル」です。

 

LEEには「LEE100人隊」という、読者の中でいろんなトレンドやアイデアを発信したりしてくださる素敵メンバーがおられまして。

 

どの方もステキで、「きっとこの方たちはオシャレだしお子さんも落ち着いていて、子育てに苦労なんてされてないんだろうな」なんて勝手に思っていました。

 

LEEはセンスが好きだし憧れる世界、でも発達っ子なんて知らないキラキラしたママの世界、みたいに思ってました(勝手に)。

 

ところが。

2023年3月号のLEEで、発達障害のお子さんをもつママの特集が組まれてました✨

 

これは嬉しかったですね~!!

あのLEEでですよ、発達障害の子供のことが。

しかも、「発達障害とは」みたいなざっくりアバウトな特集ではなく、実際にLEE100人隊のメンバーの方で発達障害のお子さんがいらっしゃる(ご本人も特性がある方も)方たちの話が載っている。

 

すごいことだと思いました。

発達障がい児って、どこかやはり知らない人からすると「別世界の話」なんですよね。

「いるらしいけど、どこに?」みたいな。

あるいは「ちょっとでも発達特性があれば支援級にいくよね?」みたいな考えの方もいらっしゃいます。

 

障害って、かかわりがない人はずっとかかわりなく生きていることがあります。

それって、ラッキーなことだけど、実はその人が知らないだけで、地域にもまわりにもたくさんいる。

でもなかなか、身近にいるそういう子や家族の話は、メジャーな場では語られません。

結果「いないことにされがち」ではないでしょうか。

(性的マイノリティも同じ感じかも)

 

でも、発達障害の傾向のある子は、多くなっているんですよね。

それは知られるようになってきた、ということもあるし、今の未就学児の就学前相談は、傾向のある子にはしっかり入学前に検査とかしてもらって、できるだけ療育につなげたり、入学後に普通級にいったとしても適切な支援がうけられるようにと考えられているようだから。

 

私も保育園がいっしょだったママに「支援級なの?え、どこがそういう感じなの?ぜんぜんわかんないんだけど」って何人も言われました。

そのたびに「聴覚過敏がひどくて」「耳で指示をきくとわかりにくいけど、目で見てわかる方法で教えられると一発でわかるから、そういうのしてくれるクラスにいるの」と伝えてます。

 

たぶん、私達ママ世代にとっての「支援学級」って、「知的障害クラス」しか思い浮かばないんですよね。

(今は「支援学級(情緒・自閉症)」というクラスもあって、そのクラスだと普通級と同じ教科書を、教え方や教える順を工夫しながら学年末には全課程終える、ということも知られていません。

※ちなみにうちの学校では、普通級より早く支援級の方が授業が進んでいる科目もあります)

そして発達障害というと「アスペ」や「多動児」のイメージではないでしょうか・・・。

 

昔より広く「言葉」としては知られるようになってきたけど、実際のことはよくわからない人が多いと思います。

それは「身近で出逢ってないから」。

「近くにたくさんいると気づかないから」。

そして「知っている人の子供にそういう子がいないからイメージがわかない」からではないでしょうか。

 

だから、あのキラキラとしたママたちの憧れ雑誌で、しかもその代表のような100人隊のメンバーの方が、こんなふうに「うちの子も・・」と語ってくださったのは大変ありがたいことなのです。

 

LEEを読んだママの中には、「この方しってる!いつもコラムよんでる」とおもって、親近感をもって、しっかり読んで下さる人もいらっしゃるでしょうし。

「こんなオシャレで素敵な方のお子さんにも特性のある子が」と私みたいに驚いた方もいるかもしれません。

 

普通のところに、普通にくらしてる発達障がい児がたくさんいること。

(昔は障害児というと、療育期間や特別な学校に集められてた印象があった)

その子たちの困りごとが、具体的にどんなことで、どんな工夫をしたらいいのか、どんなふうに成長していくのかが一般の読者が知れること。

 

有名な雑誌で、当事者(の親御さん)が、発達障害について語れること。

(今までは福祉専門誌での特集が多く、ファッション誌での特集はそこまでつっこんでいませんでした。)

 

これが私が感動した理由です。

 

もう少し、カジュアルに発達障害について、「うちもそうなのよ」と語れるような日本になってほしいな、と思っていたので。

その一歩になっているような気がして。

 

発達障害の特性って、誰でも人間なら、少しはもっていると言われています。

娘の「自閉スペクトラム症」の「スペクトラム」がその例。

こだわりや感覚過敏などは、だれでもちょっとはもっている。

それが強く出たり、生活上むずかしいことが増えると「障害」と呼ばれる。

そして、その障害も、「周りの理解や環境」がすこしでもよくなると、目立たなくなると言われています。

 

実際、娘も保育園時代からのクラスメートたちは、耳栓(聴覚過敏用)を娘がつけることがあり、つけても声は聞こえることを理解しているので、耳栓をどうこういいません。しかし、聴覚過敏の知識がない人から見れば「授業中に耳栓をするなんて失礼」でしょう。もし耳栓をもたずに大きな音がなる授業を受けて、娘が急に泣き出したら「困った子」としか受け止めないでしょう。

保育園時代からのお友だちは「アッ、娘ちゃん、耳栓しなよ!?先生音が大きいよ!」といってくれます。

これが、「理解があるかないか」の違いで。

「別に知ってくれてなくてもいいのですが、知ってくれたらはるかに互いに過ごしやすくなるので嬉しいな・・・」と私たちが思っていることです。

 

まさかの、あこがれのLEEで特集が載っていたので、嬉しくなってしまった次第です(^^;)

 

ながながとすみませんでした!!

興味のある方は、ぜひお手に取ってみてください。

3月号のLEEは、「家づくり&リノベ」特集の別冊もついていて、よかったですよ✨

 

言いかえるチカラ。

最近も、やはりぼちぼち子供の登校しぶりがあり、毎朝ドキドキハラハラしながらすったもんだしています。

 

行くときはいくんですよね~すんなりと。

行かない時はなかなかの地獄・・・

 

でも、行ってる時の方が、まだ多いので、頑張ってはいると思います。

 

しかし、毎日の送迎が、辛いときもあります。

いつになったら、自力でいくようになるかな、とか。

中学校はちゃんと一人でいってくれるのかな、とか。

(まだ5年先ですけどね(^^;) )

送迎がおわると、ほっとして、そういうことを延々と考え込んで沈んでしまう。

まあでも、仕方ないんですよね。

今の娘には、「学校に行く」だけで精一杯。

長距離あるくなんて、まだまだ無理そう。

(荷物はどんどん重くなるし。毎日持ち帰るタブレット端末が重すぎる( ;∀;) )

送迎してでも、行ってるだけえらいではないか。

 

最近の私は、そんなストレスと冬の天候不良もあってか、ちょっと鬱っぽさも出てきていて。

体に異変がおきて寝込むことも。

産後鬱の時のくるしさが頭をよぎり。

これはまずいと思って、意識して「言いかえ」を頭の中でするようにしています。

 

例えば。

「毎日の送迎が大変!」

→「でも子供がもしいなかったら、私インドア派だし在宅ワーカーだからひきこもりになるでしょ(笑)送迎あるくらいが外に出るキッカケになっていいのでは!?」

 

という感じ。

 

娘の担任の先生が、この「言いかえる力=言いかえ力」がすごいんですよね。

「手伝わないと○○をやれないです」と私が連絡帳に書くと「ちょっと手伝えばちゃんとやるなんて、すごいじゃないですか☆」と。

全部そういう感じで、親子の悩みを吹き飛ばしてくださるというか。

これはありがたいですね。

 

それを見習って、私もできるだけ言いかえをしています。

 

「なかなか着替えない」→何度か言えば着替えるんだからえらい!

「ご飯を集中して食べられない」→集中が散りながらも食べられてえらい!

「体育を嫌がる」→適当にやってやりすごすのではなく、本気で毎回やってるからかも。やらなきゃいけないという気持ちがあってえらい!

「字が汚い」→汚くても、ちゃんと漢字の宿題やっててえらい!

 

こんな感じ。

結構無理やりだったり、超過保護な言いかえになってます(笑)。

 

でも、いいと思うんですよね。

子ども達は学校で、かなりこまごまと厳しいルールの中で、膨大なタスクをしてきているし、叱られることも多いと思うんです。

だから、家でもできないことを数え上げて指摘して、親がためいきばかりついていたら、生きるのが嫌になってしまう。

 

たぶん、「怒っている現象」は一つでも、どう見るかによって、いろんな見え方があると思うので。

「これはちゃんとこうしてほしいけど、この点はすごいよねぇ!」って見てあげることは、大事だと思うんです。

なにより、親の心を守ることになる。

 

発達障害の子の親って、普通のお子さんの親御さんより、先生に気を使ったり、耳の痛い助言を聞いたり、他人に謝ることがものすごい多いです。

そのまま、「私達がわるいんだ」みたいな、自責感でいっぱいになってしまうと、鬱とか虚無感とか、不眠とかになりやすい。

だから、「そうかもしれないけどここはできてるもんね!」「こういうところは、この子のいいところだし、私も子育てがんばってきた甲斐があるよね!」みたいに、自分で自分たちをほめてあげることって、心を健康に生きていくうえで必須です。

 

だって、他に誰が積極的にほめてくれます??

褒めてくれる人なんて、なかなか出てこないですから(笑)。

 

特に、小学校に就学してからは、親を励ましたり勇気づけてくれる存在って、激減します。

保育園幼稚園や、療育施設に行けている未就学児時代は、結構親が相談したりフォローされる部分もありました。

しかし、小学校入学と同時に児童発達支援施設は卒業し、医療的な機関や相談支援機関にかかれる機会も失われる場合が多いです。

「なにかあったら受診して」みたいな。

 

放課後デイサービスを利用できれば、親が相談できることもあるのかもしれないけど、うちの地域では重度や不登校でなければ定員の関係で入れません。

 

支援級の先生や、発達支援のコーディネーターの先生しか頼れませんが、なかなか相談することも気が引けるし、褒められることはあまりないです。

(先生から「これどう対応しましょうかね」と困られることはある( ´∀` ) )

うちの担任の先生は褒め上手な方ですが、それでも他のお子様のことでも手いっぱいですし、親をフォローする暇なんて通常ないですよね(あたりまえ)。

子どもがなにかしでかした時にしか、話を直接できないイメージ。

 

夫も、自分の仕事のぐちはきいてほしくても、私の子育てのがんばりなんてあえてほめてはくれません(^^;)

 

なので、自分で「できてない」→「これはできてる!」に言いかえて、自分達親子を誉めていく「言いかえ力」を鍛えていきたいところです。

 

むかしアニメで見た「ポリアンナ」(パレアナともいう?)という女の子の、「よかったさがし=幸せ探し」を見習って。

辛い状況でも、幸せだと思えることや、よかったことを探していく。

それで幸せをつかんでいく。

www.nippon-animation.co.jp

 

あれを、見習っていきたいところです。

 

私は子どもに障害があってよかった、なんて思ったことはないです。

できるなら、凸凹の少ない状態で産んであげたかった。

だから「障がいがあってヨカッタ」なんて思えません。

それでも、「この子のおかげで、今まで知らなかったことを知れた」「この子を褒めるように気を付けたおかげで、他人の良い所を伝えてあげられるようになった」「この子を育てながら仕事するために、在宅ライターという仕事に出逢えた」とは思う。

 

「障害はない方がよかったけど、障害があっても、この子に出逢えてよかった」と言いかえることができます。

 

そう思えるような、すてきな子が生まれてきてくれて、「よかった」です。

 

これからも、言いかえ力を親子で鍛えていきたいと思います!

 

 

 

登校しぶり

登校しぶり。

最近さく烈している娘です。

 

「勉強がいや」ならわかりますが、

「掃除が嫌」とはなんなんだ・・・?

 

しかも、学校までは普通に行くこともあり、

しかし昇降口から上がれないんですね。

教室にいけない。

運よく支援員の先生とか保健室の先生がとおりかかって、教室につれてってくれることも多く助かっているのですが。

最悪、昇降口までいったのに帰ります・・・

 

なにやってるんだろう、私達・・・と思うこともしばしば。

 

家でるときから行かないっていうことばかりじゃないんですよね。

行く気満々からの、無理!!って。

 

そうなんだ・・・え・・せっかくだからいかない?

「無理!!」となる。

おもわず手をぐいぐい引っ張ってしまったことも、ランドセルをじりじり後ろから押してしまったこともある(反省)。

だってさっきまで行く気満々だったじゃん!!ちょっと教室行ってみれば?って思ってしまう。

でもいけないんですよね・・・学校玄関で静かな追いかけっこ状態になっている私達。

めっちゃ他の子の視線が痛い・・・

 

でもあれか、「ここまではこれた」「学校まで、行ってみるのはとりあえずがんばれた」のかな・・・教室には行けないけど。

 

なんなんでしょうね。

 

考えられる原因をかんがえてみる。

 

ケース①:教室がうるさい

多動の子がほとんどである支援級に在籍中な上、その子たちがかなり先生に怒られる頻度が多いみたいなので、もしかしてそれで聴覚過敏な娘はつらい?

 

ケース②:ほんとに掃除がきらい

掃除はそんな長い時間じゃないですけど、他の子とチームでやるので、つかれるのかな。やりかたがわからないとか、冬はぞうきんが冷たくて嫌なのかな。あるいは単に「めんどう」?それは母はどうにもできないけど。

 

ケース③:学校で一日過ごすのが、そもそも疲れる

夕方くらいまで、ルールにしばられるのが嫌なのかもしれない。

好きなことだけしていたいのかも。

勉強も疲れるしね。

でもそれは、しないとどんどん勉強におくれてしまう。

 

 

うーん、たぶん上記3つ全部ですね。行渋りの理由は。

そうか、そうだよね、うーん、でもどうすれば。

 

一応、毎回「これが辛いらしいです」と、分かる限りは先生にいってるんですけどね。

休ませられるときは休ませるし。

でも頻度が高くなると、勉強の遅れが心配。

 

まあ、いまのところ、一日やすませれば次の日は行けたりするんですが。

百均のおもちゃをご褒美にしたりね・・・(-_-;)

学童を休むという交換条件で、学校には行けたり。

 

学校を休むと、その間の学習プリントを大量に宿題にされるんですよ。

それが本人も私もつらい。

良かれと思って先生はしてくれるんですけどね。

 

まだ低学年だから、一日やすんでもそんなに勉強おくれないかもしれないけど、これがつらいし、「癖になっちゃいけない」と思うんですよね。

 

でも、動画で精神科医の先生がおっしゃってたの見たんですが。

「行渋りを、むりやり行かせてると、不登校になる」と。

「行きたくない」というのは本当の気持ちなので、そこを無理に行かせることをつづけてると、本人の「親や大人に対する信頼感」が崩れて、なにも聞かなくなる。

二次障害にもなりやすい、と。

 

大人や親がちゃんと自分をいざとなったら守ってくれる、信頼してくれるんだと分かってきたら、自分が休んで落ち着いてきたら、自分で考えて行ったり行動ができる、と。

 

なるほど、そうか。

・・・でも、親も親の仕事とか「学習の遅れ」の焦りとか、ありましてね、、、

そこの私の葛藤がすごいから、なかなか「そうですね!」とならないけれども。

グッと我慢して、「いかせない、休ませる」も必要なんでしょうね。

 

ただ、行かない日も、「ママは仕事をしないといけないから、午前中は自分で過ごしなさい」とか、大人の都合も伝えよう。

それを繰り返して、自分で過ごし方を考えられればいいんだけど。

あと「休んだら暇だからママあそんで」もやめてほしい💦

暇なら学校行こうよ!!って思ってしまう。

 

大人も大人の都合がある。

みんな、一生懸命毎日生きている。

それは言っていきたい。

君はやりたいことをやればいいけど、やったほうがいいこともあって、親にもそういうことがあって、いろいろやって過ごしてるんだよ。

 

そういうことは、わかっていってほしい。

そのほうが、お互い生きやすいからね。

 

どうしても連続で学校を休んでしまうようになったら、また学校とは別の「行くのが楽しくなる場所」を探していかないといけないけど。

 

とりあえずは、休める時は休む、で様子をみます。

 

ああ・・しかし私はどこで泣けばいいんだろう(´;ω;`)

私の心は、誰が守ってくれるの( ;∀;)

 

旦那は言ってもぜんぜん共感してくれないしね(´;ω;`)ブワッ